夕螺の30年日記帳

今までブログで20年日記帳を書いていました。30年日記帳を目指して長生きします。カテゴリー「しりとり俳句」やってます。一句いかがですか♪

12月5日という日

【2024年】ツイッターつぶやき
(記事なし)

≪過去の記事≫

【2003年】
江國さんの「ホリー・ガーデン」を読み始めました。
動き、香などを通してその雰囲気を伝えるところなどは、読んでいてドキッとします。さすが・・・という感じです。
まだはじめのほうだけしか読んでいないのですが、この後の展開が楽しみです。
夜はしゃぶしゃぶにしました。
コタツの上でガスコンロを使い、しゃぶしゃぶと。温まりました。
安い肉ですがおいしかったです。

【2004年】
このところ乾燥続きで昨日からの雨はよいお湿りかなと思っていたら、とんでもない。。。。
早朝は横殴りの雨でした。
熱帯低気圧の通過だったと思うのですが、生ぬるい風が吹き荒れました。気温も24度とか。
木々に残っていた枯葉もすべて飛び散りました。

【2005年】
(記事なし)

【2006年】
(記事なし)

【2007年】
「東京日記2 ほかに踊りを知らない。」
             平凡社
             川上 弘美  著
都市出版社「東京人」2004年5月号から2007年4月号までに連載された作品です。
「ついこの前『東京日記 卵一個ぶんのお祝い。』が出たばかりと思っておりましたら、すぐに三年がたって、この二冊めを上梓することとなりました。」
                         (「あとがき」より引用)
「東京日記 卵一個ぶんのお祝い。」は、やはり平凡社から出版されましたが、その「あとがき」には、
「『東京日記』という題は、(中略)敬愛する内田百閒の同題の作品にも。とはいえ、百閒先生と並んでしまってはおこがましい気がして、表紙には『東京日記』という字は、小さく印刷しました。」
とあります。
内田百閒の「東京日記」は、かなり不思議な世界がありますが、川上さんの「東京日記」もどこか不思議な世界があり、でもそれは日常の中にある不思議さでありクスクス笑ってしまうようなものも多くあります。
この日常の中の不思議な事については前作の「東京日記」では、
「以前『椰子・椰子』という、嘘日記の本をだしたことがありました。本書は、本当日記です。少なくとも、五分の四くらいは、ほんとうです。普通に生活していても、けっこう妙なことがおこるものだなあと、読み返しながら、なつかしく思いだしております。」
百閒の「東京日記」ほどの不思議さではない日常の「妙なこと」という不思議さです。ですから実際に起きた日常での出来事という点ではほんとの話で、本にして出版する点での配慮や作品として仕上げる上での「嘘」が五分の一という事だと思います。
今回の作品も、やはり五分の四はほんとで。。。。と、あとがきに書いていらっしゃいます。
春。。。竹の子が食べたいと思う川上さん。すると一箱の竹の子が届く。茹でておいしくいただいていると他の方からまた竹の子が一箱届く。また茹でる。するとまた他の方から竹の子。竹の子を茹で続ける川上さん(笑)
こんな妙なこと、そして竹の子をどんよりしながら茹で続ける川上さんの姿を想像してクスクス笑ってしまいます。このようなお話しが集められている作品です。
先の「東京日記」に比べると、文章がさらに短くなりなんとなく俳句趣味がより進んだように感じます。俳句の中には趣のある滑稽が有りますが、まるでその俳句をを読むような感じで読める作品だと思います。
俳文というものがありますが、ある説によれば俳句をする方の文章一般をいうらしいのですが、俳句趣味の文章という意味で捉える事ができるのなら、まさに両「東京日記」は俳文と呼んで差支えがないのかと思います。そしてその俳文の中でも滑稽さを出した俳文。
作品中に「シュール。」という文章がありますが、俳文の中の俳句趣味の滑稽というのは、シュールなおもしろさといってもよいのかもしれません。その時は真面目なのですが、後で思い起こせばなんだか自分を自分で笑ってしまうという事もありますし、人の行動の中にはなんだかわけのわからない面白さ(笑い)があるものです。川上さんもクスクス笑いながらお書きになったのではないかな。
本の題名のネタバレになりますが、川上さんは、誰もいない部屋の中で「一人東京音頭」を踊ります(笑)
それは「一人東京音頭」を踊るという誰も見ていない中の川上さんの面白さでもあり、その面白さは川上さんご自身でしか、川上さんご自身の心の中でしかクスクス笑えないものです。それを読者が読むという中の面白さ。自分を自分で笑ってしまうおもしろさ。なんとなく自分を遠くから眺めているような風景。そこにこの作品のおもしろさがあるのではないでしょうか。
人は生きていれば大きな出来事があり、その中に心が大きく揺れる喜怒哀楽があります。しかし、このような大きな喜怒哀楽というものはそうは毎日起きないものです。かと言って毎日がまったくの平凡かと言えばそうでもなく、心が小さく揺れる小さな喜怒哀楽があるわけです。それが「東京日記」で書かれているおもしろさだと思います。
あとがきは、
「どのひとのうえにも、ひとしく幸いが訪れますように。
そして、もしまんいちなにがしかの不運をこうむったひとにも、近く幸いが訪れますように。」
と、結んでいます。
「妙なこと」の中にはおもしろい事もあれば不幸な事もあります。その「妙なこと」にも大きさがあります。それを自分を遠くから眺めるように、これもすべて「妙なこと」のあった一日として眺められれば心も休まるかもしれません。また、平凡さの中にある小さな喜怒哀楽を引き起こす「妙なこと」これを滑稽な笑いにできれば幸いかと思います。

気温は低かったですが、風もなく気持ちよく晴れた一日でした。
いつも寝坊して布団を干すタイミングを逸している息子の布団も干しました。
こうして寒くともからっと布団を干せるのも雪にないところの幸せかもしれません。
ホームページのトップページはもうすぐアクセス数40000となります。またホームページに付けている掲示板「銀色夏生ページ掲示板」もあと1000ほどで80000アクセスとなります。アクセス数の半分(あるいは四分の一)の20000は自分だとしてもたくさんの方がいらしていただきうれしく思います。「夕螺の掲示板」もやっと30000を越えました。4年と半年。。。。
ブログは1年半で40000を越えましたが、今はやはりブログの影響力が強いですね。ホームページはアクセス数からだけを見れば歩みののろい亀のようですが、まぁ、ゆっくりとやっていきたいと思います。
いつもいらしてくださる方をはじめ、そのほかの方にもお礼を申し上げます。
今夜は、ブロッコリーとベーコン炒めとサバの味噌煮。

【2008年】
(記事なし)

【2009年】
(記事なし)

【2010年】
暖かな日差しの中、土産品を売る売店が並んでいた。
ある土産物店に高く和菓子の箱が積まれていた。少し聞いたことのある和菓子なのでみていたら試食をくれたので食ってみたらうまい。
買おうかなと思ったら、店の人が「日持ちしますよ」と。
たしかに土産物は日持ちがしたほうが良い場合があるが、
「車の中に入れておいても大丈夫」
「〇日ぐらいは大丈夫」
「日持ちしますよ~・・・・・」
と、何度も繰り返す。
和菓子ですからねぇ。。。。
そう何回も日持ちがするからといわれると、かえって大丈夫かなと思ってしまう。添加物たっぷりとか。まぁ、今は包装の技術がすすんでいるから昔のようにたくさんの防腐剤が入っているというわけはないと思うがやはり何度も「日持ちします」といわれると。。。。
和菓子でもほんとの土産物!といったものはそんなもんかと買いますが、しっとりとした和菓子ですからなぁ。。。。
たぶん、あの「日持ちしますよ」は逆効果だと思った。

気温は低かったですが、風もなく気持ちよく晴れた一日でした。
いつも寝坊して布団を干すタイミングを逸している息子の布団も干しました。
こうして寒くともからっと布団を干せるのも雪にないところの幸せかもしれません。
ホームページのトップページはもうすぐアクセス数40000となります。またホームページに付けている掲示板「銀色夏生ページ掲示板」もあと1000ほどで80000アクセスとなります。アクセス数の半分(あるいは四分の一)の20000は自分だとしてもたくさんの方がいらしていただきうれしく思います。「夕螺の掲示板」もやっと30000を越えました。4年と半年。。。。
ブログは1年半で40000を越えましたが、今はやはりブログの影響力が強いですね。ホームページはアクセス数からだけを見れば歩みののろい亀のようですが、まぁ、ゆっくりとやっていきたいと思います。
いつもいらしてくださる方をはじめ、そのほかの方にもお礼を申し上げます。
今夜は、ブロッコリーとベーコン炒めとサバの味噌煮。

【2011年】ツイッターつぶやき
野田総理ILOアジア太平洋地域会議に出席をして演説をしたようだ。
演説の中身の一つとして「世界の中間層の危機」を取り上げて貧富の二極化を是正すると。
日本ではすでに中流意識は薄れている。中流というのは相対的なものだから常にその社会には社会の中流がいるわけだが、全体的に賃金は下落をして雇用も失業率は増えて不安定雇用が多くなるなどこれまでの自民党政権から政策的に行われてきた。年金をはじめとした社会保障の切り下げも行われ、この切り下げの中に言われた100年は大丈夫な年金改革は破たんをした。この全体的な生活の低下や不安定さの増大が中流という意識を消し去ったのである。
このような状態の中で野田総理中流層を厚くする政策を強調するわけだが、どうもそのために何をするかとなると具体的なものはほとんどない。それどころか消費税の増税を積極的に行うという。中流意識を吹き飛ばしてしまった現在の生活の実態にその生活を苦しくするために油を火にそそぐようなことを行おうとしている。
様々な中間層を厚くする政策も財源が必要なわけでその財源を消費増税として行うということになるのだが、これでは国民の生活の豊かさは出てこないでしょう。庶民の生活向上を庶民からの増税ででは。。。。
賃上げはもちろん、派遣法の改正もままならず、失業はほとんど改善されず、政策仕分けでは社会保障の切り下げの提案、抜本的な改善がない上に競争というグローバル社会には手を付けない中に行おうとするわけだから改善される具体的なものはないわけです。
朝日新聞の今日の社説では「社会保障と税の改革 消費増税は避けられない」とあった。
ここにも何かしら具体的な政策提案があるのだろうか?野田総理と同じことを言っているだけである。

【2012年】ツイッターつぶやき
社会を支えていくものに「三助」の考え方がある。自助・共助・公助という三つの社会における国民の最低限の生活を保障するという事や富の再配分そして自治体や企業を健全化するなどを目指したシステムである。
自助は、個人が社会のために労働をしてその中で個人の生活を維持していくという事でしょう。今でいえば自己責任とか自立した国民という意味にもなると思います。
共助は、互いに助け合っていくという事でしょう。今でいうと年金問題が大きくなっていますがその中で若い人がリタイヤした御高齢者を年金などで支えるといったようなものでしょう。
公助は、国家がその行政の役割として地方自治体なども通じて国民生活の安定化を図ることにより助け合うという事でしょう。
今回の総選挙の争点もこの「三助」考え方にあると思います。
一つは自己責任や自立した国民を強調する新自由主義的な「自助」を前面に出した政策です。
たとえばリタイヤしたお年寄りを個々の家庭において支えるといったようなものであると同時に、この各家庭の収入もまた個人の努力で得ることを言う。しかし、日本のバブル崩壊時やアメリカのリーマンショック時に典型的に表れたように企業というものは利益を上げている間は自助ですがいったん破滅しそうになれば手厚く保護されるといったように企業には自助の責任はありません。助とは国民一人ひとりに対するものと見た方がいいでしょう。
二つ目は年金制度や健康保険制度のような国民から徴収をされた資金+国の税金を活用した福祉国家あるいは社会民主主義的な政策である「公助」を前面に出した政策です。ここには富の再配分としての税の使い方も含まれるわけで、様々な社会保障が行われます。各家庭においては自助とともにリタイヤしたお年寄りは年金で自立した生活をおくります。問題は高齢化社会や国の借金問題が対置されます。
こう見ると自助を言う政策は、企業や富裕層に有利なわけで、格差社会といわれている現在においてはこの自助社会は破たんをするでしょう。一方では公助社会は国の借金を膨らませると言われる。
こう見たときに矛盾が出るわけですが、その解決をどこに見つければいいのでしょうか?
それは「共助」の中身の問題となります。早い話が富の再配分のやり方です。
現在の共助の中身は先にも書いたように、年金で言えば若い人(現役世代)が年金受給者を支えるというような一般国民同士がそのぎりぎりの生活をしている中に自助を求めています。ここに社会の富を多く得る企業や富裕層の役割が出てきません。厚生年金掛け金は個人と企業の折半し+公的資金ですが、こういったものが広がりを持たなければ本来の共助とはならないでしょう。消費増税にしても大衆課税という性質からある意味一般国民の共助的な中身です。しかしここには富裕層の所得税法人税の減税が続いてきましたしそこの改善は見られない。
今後の日本を支えるのはこの共助部分の改革により公助を広げることでしょう。
自助だけを強調するならさらなる貧困化は避けられませんし、それはデフレもさらにひどくするでしょう。その中で国や企業も衰退していきます。

【2013年】ツイッターつぶやき
秘密保護法案が強行可決(一部国会審議のない修正による4党の可決か?)されようとしていますが、日本社会は自粛と萎縮の社会にますますのめりこんでいくでしょう。
自粛は小泉政権内で広がりましたしそれ以前の昭和天皇崩御でも顕著でした。自粛は広く社会に広がりそれが経済にも影響を及ぼし、特に勤労国民は国や企業のためには我慢といった意識や諦めが蔓延しました。それが失われた10年ないし20年です。そしていまさらに安倍政権の中で加速をして失われた30年に向かいつつあります。今回は自粛だけではなくて国民の萎縮を呼び込むことになります。
勤労国民の自粛や萎縮は一時的にはカンフル剤として作用しますから国や企業にとっては都合のよいものです。しかしそれは長期的な社会の低迷をもたらします。
なぜ日本では起業が行いにくいか。。。。これも含めて勤労国民はその自主性による自由な発想が鈍くなり、勤労国民一人ひとりに夢や自由がなくなればそれは社会の停滞を引き起こします。国や企業の言うことを聞くだけの一面では都合のよい国民がそこに現れますが、打ちひしがれた国民に活力は失われます。
財界も今のままでよいと思っているのでしょうか?特に内需関連や中小企業のかたがたは?
勤労国民が自粛・萎縮すれば企業活動も鈍るということです。日銀や政府の経済政策が異次元といわれるほどに行われてもその恩恵は少ない。経済工は株・金融そして一部輸出企業にしか広がらない。来年4月には消費増税ですぐに10%にもなる。賃上げを検討しているのは一部の10%にも満たない企業でしかない。社会は萎縮していくのです。
安倍政権はこの経済政策を抜きにしたかのように秘密保護法案に集中している。
経済と政策は自粛・萎縮の中に停滞をしていく。
裏を返せば、自民党政権が復活をして今後も政権を維持するには自粛・萎縮した社会という統治しかなくなっているということです。
自由と民主主義の党。。。自民党は、保守勢力の一部の力により変質してしまう。もちろん自民党がこれまで自由と民主主義の党だったかといえばそうではなかったのですが、55年体制も含めて国会そのものは重要視して修正も議論されて政権は維持をした。この自民党は保守としてはまじめな面もあったのです。しかし今はどうでしょうか?議会制民主主義すら危うい状況を作り出している。
保守層の建て直しも含めて左派と中間層による自由と民主主義平和の理念を再度構築しなければならないでしょう。

【2014年】ツイッターつぶやき
1ドル120円に行くか?と見ていたらいきなり121円に。これが瞬間風速化122円に向かうものか?
円安が早すぎるという声が多いがこの速すぎるが加速度を増している傾向にあることは間違いないでしょう。
株価が騰がって喜んでいる方々がたくさんいて、121円に!と週明けを楽しみにしているのでしょう。。。。
しかし急激な円安が懸念されはじめてそれが加速度をもつようになっているなら、もう水ぶくれの株価に喜んではいられないでしょう。その株高で景気がよくなったとまだ喜ぶべきなのでしょうか?
円安→物価上昇→貯蓄の目減り。。。もちろん財布の中身は軽くなる。
円安が急速に進みどこまで下がるか不安になれば円を売ってドルなどに替える。すると円安はさらに進む。物価はさらに騰がる。結局円安は円の信用がなくなるという事。
これは経済の根幹にかかわるものでしょう。
今は政治家も選挙で忙しいのですが、やはりこんな時期に選挙などやっている場合ではなかったのです。
「円安、異例のハイペース…食品系で値上げ相次ぐ 読売新聞」
「2倍の速度で進む円安、前回円高時に比べ関連倒産件数は3倍超 | Reuters 」
円安は経済の足かせとなりつつあります。
円安が経済の足かせとなるにもかかわらず円安が株価を吊り上げ続けるというのは株価バブルです。
日銀はまだ追加緩和を捨てていないし、物価上昇目的に突き進む。経済が成長していない中で純粋な経済成長からの物価上昇を思い描いているのですから。しかしバブルの様相を示した場合は出口(引き締め)しかなくなるでしょう。

【2015年】
(記事なし)

【2016年】ツイッターつぶやき
(記事なし)

【2017年】ツイッターつぶやき
日本社会総体で見ると日本は閉塞した社会になっており、この中で閉塞感が広がっているのではないか。
一時テレビ番組でも「日本、すごい」といった番組がたくさんありましたし、北朝鮮や中国時には韓国を批判することによりやはり日本はすごいなどの優越感を持ったり、時にはそれがヘイトにもなった。
しかし現実を見れば日本の閉塞感の裏返しのように見えてくる。
政治は選挙公約などどこ吹く風と国民生活の不安定化を加速させるような政策が矢継ぎ早に出され、改憲という形での自由や民主主義の制約にも閉塞感が出ている。上位下達的な、国家が国民の上に立つ逆立ちが大きく感じられてくる。
自民党から民主党そしてまた自民党への政権交代が行われたが、その中で決められない政治が社会の閉塞感のように報道されたが、一強政治がなおさらこの閉塞感を深めているというのは一つの皮肉です。
日銀の黒田総裁が、現在の日銀批判に対して答えているが、結局は経済の好転がない中でその過熱による2%インフレが達成されないことに日銀緩和失敗の答えは集約されているのであり、様々な答えは大丈夫だという言葉による期待そのものです。
企業の不祥事は音からあとから発覚をして、時間外労働の実態や過労死問題により大企業と言えどもブラック化している。そしてその企業というのが政治献金
この閉塞感を打ち破ろうとする新党結成は、言葉だけは勇ましいが結局は希望の党のように自民党の補完勢力ではという疑心暗鬼が強まって国民の信頼が得られなかった。
閉塞感が深まると言葉による国民統制が進むがこれは悲劇です。
閉塞感はデフレマインドを作り出しますし、国民の疲弊は犯罪(いじめもそうでしょう)の増加を引き起こす。犯罪までも行かないまでも国民同士の中に互いの対立という構図を作り出している。トランプさんが国民の融和を言っていましたが、この失敗と同じことが日本でも起きている。「和」や「絆」などなどという言葉はたくさん出るが社会全体としてみれば分断されている。国民が国など力による統制によって和や絆をというものは失敗をする。
それでも国民は頑張っている。
ここの国民はこの社会の片隅において地道に労働をして家族を守り融和を求めている。
この国民をまた日本人の優れたところだと日本はすごい敵な権力者が出る。
このほころびは拡大していくでしょう。それが経済危機としてあらわれるでしょう。これまでの日本社会が築いた貯金を失いながら。

【2018年】ツイッターつぶやき
東名高速でのあおり運転の裁判が始まった。
弁護側から被告に対してパーキングエリアで邪魔だボケといわれたときどう思ったかという質問に「カチンときた」と答えている。
邪魔だボケという言葉でなくても感情むき出しのクラクションとかもあります。
ここに今の社会の人と人との関係が現れていますね。
たしかに相手側に落ち度があるにしても、その相手の人格を傷つけるような言葉や行動に正当性はない。店の店員にミスがあったので土下座まで要求するようなこともあります。
こういった言動が正当化される時代なのでしょうか?正当化されないまでも相手が逆切れしたらどうするんでしょ?逆切れを「あおっている」ようなものです。
もちろんこの事件で被告を弁護するつもりはありませんが、逆切れをあおるような言動にも問題があるということです。
逆に運転していると後ろに目が付いていないドライバーがいますね。
低速でずっと高速道路の追い越し車線を走っていたり、上り坂で上り坂車線があるのにその車線の移らない低速の車。左車線あるいは上り坂車線からみんな追い抜いていく。
こういったものも「邪魔だボケ」の挑発の言動にも結び付く。
まぁ、どっちにしてもこういったトラブルは「後ろに目が付いていない人の言動」が引き押しかねないものなのでしょう。

【2019年】ツイッターつぶやき
はとバスの運転手さんがインフルエンザの高熱のために意識がなくなり事故を起こし衝突されたタクシーの運転手さんが死亡した。
常務乗務前に会社も気が付かず、運転手さんも自己申告しなかったという。
結局は運転手の責任でこの事故は片づけられるでしょう。
しかし一つの疑問がある。
なぜ運転手は自己申告しなかったのでしょ?
体もきつい中無理に仕事をしなくてもよかったでしょうし、したくもなかったでしょう。
運転手さんは体の異常があるようなときはもちろん日常的に休暇などを採れていたのでしょうか?急に体に異常が出たときに変わりに運転をしてくれる乗務員はいたのでしょうか?いたとしても帰りにくい実態はなかったでしょうか?
こういったことから会社も自己申告で大丈夫ということにしてしまう。
働き方改革と言いますが、まだ無理な働き方をせざるを得ない実態があるのではないでしょうか。
ここを改善しなければ同様な事故が今後も起きるでしょう。
普通のサラリーマンも同じです。

【2020年】ツイッターつぶやき
Go Toトラベルを利用した人がのべ5600万人(泊)だそうで、関連でコロナに感染した人は240人程度だといわれています。5600万人も出かけているのに240人程度ならGo Toは感染拡大とはつながらないだろうと思ってしまいまうね。
でも、5600万人というのは1人の人が何拍もしたりしている延べ人数ですから実際は多くて2000万人ぐらいでしょうか?240人に対しての分母がだいぶ少なくなるのは確かでしょう。すると感染率は高まります。
もちろんこれでも240人という数字は少なく感じますね。
でも、この240人という感染者が特定された条件というのはどのようなものかというと政府の発表では人数の数字だけです。例えばクラスターのようなものがあって後追いして判明したとか限定された条件での数字ではないかと思いますがどうでしょう?地方の人が東京や大阪などの大都市圏に来て繁華街で飲み歩いていたとか。そういうところで感染が判明されれば確かな数字となりますが。
しかしGO Toでの感染はむしろ大都市圏の人が地方に出かけた場合の方が心配されます。
この場合、地方の方が大都市圏の方から感染したとなると特定ができるでしょうか?友達が東京からGo Toで来て飲み会をやったとかであれば特定はできますが、旅行客となれば特定するのは難しいでしょう。
でも大都市圏の人が感染させてしまったという特定はできませんが、全国の感染者の増加とGo Toの前倒しの実施とリンクするのは確かでしょう。この辺は現在の感染拡大で政府もGo Toを一時停止するようになっていますし、東京や大阪からの他県への移動を自粛するよう要請していますので、人の移動による感染拡大自体は否定をしていません。そのうえで個々人に感染拡大防止策を自己責任で行いGo To自体を全国的には継続をし、継続どころか来年半ば(下手をすればオリンピック終了まで)延長しようとしているだけです。
Go Toの影響はかなりあると見たほうがよいでしょう。
これからクリスマスや年末年始ですからね。GO Toの利用やGO Toを利用しなければ大都市圏にも人が押し寄せることもあり得ます。ただ10時以降は飲めなくなるかもしれないというだけで。
第三の波はピークアウトかもしれないという分析もありますが、それが正しいとしてもGo Toとそれに関連したゆるみから再度感染拡大や新規感染者が下がりきれない状態が出るでしょう。
今後死亡者数も増加をしていきます。それを尻目にGo toの経済政策(大企業救済)が続きます。

【2021年】ツイッターつぶやき
オミクロン株の感染がWHOが発表してからわずかな期間の間に南アフリカから世界12ヵ国で市中感染がはじまるようになった。日本では入国者の2名でまだ市中感染は発表されていない。
そのような中で群馬県の会社で42名のクラスターが発生した。もちろんまだ今回のクラスターがオミクロン株かどうかは今後の検査を待つことになるでしょう。しかしオミクロン株かどうかがわからないにしろクラスターも市中感染の結果ですから国内においても市中感染からの感染拡大が心配されます。
もちろんクラスターはごく狭い範囲内での結果ですからこれ以上の感染の広がりがなければおさまるでしょう。しかしその感染者には家族がいる方もいるでしょうし、社会的活動もしているわけですから濃厚接触者の検査結果次第ですね。
もう一つ心配なのが、ワクチンを接種した人が29人と多いことです。
全国的な感染拡大があり得ることを考えればワクチン効果にあまり期待は持てないでしょうし、ワクチンパスポートやワクチン証明の信頼度は下がります。ワクチンを接種したかどうかでの差別化はできないでしょう。

【2022年】ツイッターつぶやき
冷たい雨が降っています。
ベランダに出ると息が白い。
昼間も気温は上がらずに10度以下だったようです。
明日の朝は4度だとか。。。。。
もう少し気温が下がったら霙になるかな。
昨日、炬燵を買ったのですが、ものすごくシンプル。
今まで使っていたものは電気の紐の近くにコントローラーが付いていて炬燵の音頭を細かく設定できたのですが、今度の炬燵は昔ながらのものと同じように炬燵中に温度設定のくるくる回るスイッチが付いている。
まぁ、安かったのでいいですが、炬燵自体もあまりつくらなくなったようで有名家電メーカ製はない。
そのうちに炬燵文化もなくなるかも。
去年、お客が来て炬燵を見たら「炬燵だぁ・・・・♪」と喜んでいました。
うん、炬燵文化は守らねばならない。蜜柑を置いて食いながらテレビを見たりごろっと昼寝をしたり。。。。。

【2023年】ツイッターつぶやき
東京都の立川、国分寺を中心に水道水の勇気有機フッ素化合物の値が高くなっていましたが、WHOが発がん性が「ある」としました。発生源はわからないようですので、対策がわからないのでしょう。
水道水が地下水なのでしょうか?
立川には米軍基地がありますが、関係があるかどうかははっきりしません。
政府は血液検査を強化するとしていますが、、、、
 

2025年12月4日(木)「軽自動車」

最近、軽トラを通信委軽自動車人気がアメリカで起きているという。

安全性規制のために行動を走れなかった時期があったようですが、今は30州で走れるようになったようです。軽といえば、日本でも昔は走る棺桶なんて揶揄された時がありますが、」最近では安全性も高まりコンパクトカーに肩を並べる時代になっています。地方のほうではセカンドカーとしても作業用の車としてその普及は多く、東京都内でもたくさんの軽が走っています。

アメリカでもちょっとした作業車として重宝されているようですが、そのかわいらしい大きさからセカンドカーとしても人気があるそうです。

日本でもアメリカでも軽の魅力は燃費と車両価格にあるようです。

アメリカといえば燃費の悪ろそうなでかい車が好かれているようですが、やはり経済的に苦しくなると軽のような車が重宝されるのでしょう。軽といえば日本車となりますが、今後はアメリカへの中古車を中心としながら新車も売れるようになるようです。

環境にやさしい車が言われていますが、でかい車から燃費の良い刑に乗り換えるのもまた環境に良いのかもしれません。しかし体が大きいアメリカ人が荷物を積んでエンジンをふかせば。。。。?(笑)

日本ではいろいろな安全装置が付いたりしたり輸入物価高からも軽の値上がりも激しいですね。今では昔のコンパクトカーに匹敵する価格になっています。セカンドカーを軽にするにしても負担は大きくなってしまった。その点アメリカでは安い通貨の国からの輸入ですから購入しやすいかな。

 

しりとり俳句 2025年冬

      2025年 冬

 

朝日漏れ薄き結露や冬に入る 夕螺

冬に入る薄き句集や遠銀河 angeloslennon

遠銀河変わらぬ冬に住まいおり 夕螺

住まいおる心のひだに隙間かぜ こと

隙間かぜ式部の色に染めてゆく 被衣

染めてゆく速さに惑う冬茜 夕螺

冬茜全て染め上げ漆黒へ こと

漆黒のきんつば餡や小春の陽 夕螺

小春の陽パンジーの花すかしてる 被衣

透かしおる淡い朝日や冬紅葉 夕螺

冬紅葉川面に映えるあでやかさ こと

あでやかに冬満月は街の灯に 夕螺

街の灯に家路を急ぐ冬の月 りら

冬の月残り少ない葉を照らす 夕螺

 

 コメントの一番新しい句の下5文字からしりとりをしてください。
 投句していただいた句は本文に掲載させていただきます。

 

写真が表示されません

gooブログから引っ越してきましたが、ブログでの写真が表示されなくなりました。

引っ越しのやり方が間違っていたものと思いますが、もう少し調べたいと思います。

12月4日という日

【2025年】

gooブログから引っ越してきましたが、ブログでの写真が表示されなくなりました。

引っ越しのやり方が間違っていたものと思いますが、もう少し調べたいと思います。

 

最近、軽トラを通信委軽自動車人気がアメリカで起きているという。

安全性規制のために行動を走れなかった時期があったようですが、今は30州で走れるようになったようです。軽といえば、日本でも昔は走る棺桶なんて揶揄された時がありますが、」最近では安全性も高まりコンパクトカーに肩を並べる時代になっています。地方のほうではセカンドカーとしても作業用の車としてその普及は多く、東京都内でもたくさんの軽が走っています。

アメリカでもちょっとした作業車として重宝されているようですが、そのかわいらしい大きさからセカンドカーとしても人気があるそうです。

日本でもアメリカでも軽の魅力は燃費と車両価格にあるようです。

アメリカといえば燃費の悪ろそうなでかい車が好かれているようですが、やはり経済的に苦しくなると軽のような車が重宝されるのでしょう。軽といえば日本車となりますが、今後はアメリカへの中古車を中心としながら新車も売れるようになるようです。

環境にやさしい車が言われていますが、でかい車から燃費の良い刑に乗り換えるのもまた環境に良いのかもしれません。しかし体が大きいアメリカ人が荷物を積んでエンジンをふかせば。。。。?(笑)

日本ではいろいろな安全装置が付いたりしたり輸入物価高からも軽の値上がりも激しいですね。今では昔のコンパクトカーに匹敵する価格になっています。セカンドカーを軽にするにしても負担は大きくなってしまった。その点アメリカでは安い通貨の国からの輸入ですから購入しやすいかな。

 
《過去の記事》
 
【2003年】
夜、忘年会です。。。。
布団を干しています。日向にいると少し暑いくらいです。
今夜は、ぬくぬくの布団!!
酔い覚めをして風邪をひかないよう行ってきます。

【2004年】
娘と水族館へ行ってきました。
お土産やさんで、ネックレスと指輪とハンカチで3000円。。。。。トホホ
スーパーでゆでうどんを買おうとして原材料欄を見たら、うどん粉と塩の他にさまざまな添加物。何だか食う気がしなくて戻しました。ウドンすらまともなものが食えない。。。。
讃岐ウドンとありましたが、本物の讃岐ウドンを打っている人がかわいそうです。
たしかに昔の人は質素な食生活だったでしょうが本物を食っていた。今は本物を食うことが一番の贅沢。食の豊かさってなんだろ?
日本殺すにゃ刃物は要らぬ。食う物の経済制裁すりゃぁいい。。。。
だいぶ前に輸入食料がなくなったらスーパーの棚はこうなりますという報道番組を見たことがあるが悲惨です。。。。。
工業製品の生産と輸出の犠牲に今の食料の貧困を生んでしまった。。。。

【2005年】
スポーツジム2日目。
ウォーキングマシンで汗を流した後にスタジオ(エアロビなどをする鏡がたくさんある部屋)に入りました。ストレッチのようなものですがそのインストラクターがとある女優さんにそっくり!!初めてなので要領を得なかったのですが、その女優さん似のインストラクターが「夕螺さん。。。。ここを伸ばすようにするんですよぉ。。。♪」と、わき腹を優しくなでる。。。デレェ~ッ。。。ハハハ
ストレッチと入れ替えにエアロビがあったのですが、そのインストラクターもボイッシュで美人でしたぁ。デレッ~
エアロビもやっちゃおうかと思ったのですが、体力が続かない。今度にしましす。
ウォーキングマシンをしながら横を見れば、どこかの若奥様風の美人が。。。
なんか何しに行っているのかぁ?(笑)
気合を入れなくてはなりません。でもなァ。。。筋トレルームにはマッチョがたくさん。あまりこっちには入りたくないというのが本音です。
内田先生の「先生はえらい」を読み終わりそうです。
養老先生のベストセラー本「バカの壁」もそうですが、こういう「素人とにもわかりやすい本」というのは要注意というのが僕のこの手の本の読み方です。どことなく「うん、うん」と納得してしまうのですが、「でもなぁ。。。?」と感じるところもあります。
まぁ、内田先生の本には「誤読する自由」というページもあることだし、様々な本は誤読を恐れずに読むべきなのでしょう。。。。
今にも雪になるのかという小雨が降ってます。
冬は苦手です。
寒くなってくると温かいお茶がおいしくなりますが、「ぶらり旅」にも書いた笠間の急須が役立っています。急須専門の陶芸家が作った急須なのですが、形といい注ぎ具合といい、「なるほどぉ。。。」と、妻も納得しながらお茶を飲んでます。
今夜は、ピーマン味噌炒めや胡瓜のニンニク和えを作っています。
なんか、酒の肴ばかりみたいですが、スポーツジムに行くと酒がうまくて。。。おかずも酒の肴風?(笑)

【2006年】
布団を干したのですが、午後から陽が隠れて布団が冷たくなってしまいました。それでも午前中の強い陽射しでしまった布団もホカホカです。
今夜はお好み焼き。。。。
具はタコと豚肉の2種類。どちらにも干しエビを入れました。
豚肉のほうには好みで明太子を入れてみようと思います。東京には昔から「もんじゃ焼き」というのがあるのですが、ほとんど水のような薄い衣で焼きます。味付けは何が入っているんだろ?たぶんウスターソースだと思うのですが、独特なお好み焼きモドキです。。。。このもんじゃ焼きに餅と明太子を入れるとすごくおいしいのです。本場月島で食べたときはお替わりをしてしまいました。お好み焼きですから餅というわけにはいかないので明太子だけにしておきます。
もんじゃ焼きのタレは売っているのだろうか?一度家でやってみたいのですが。。。。
もんじゃ焼きは、まずキャベツやメインの具を鉄板に乗せ、ドーナツ状にします。そこに水のようなタレを流し込む。ドーナツ状のものが川で言えば土手のようになり、タレが流れません。焼けてきたところで具とスープを混ぜ合わせます。このとろみ感がなんともいえない。具に火が通ってきたところで、お好み焼きをひっくり返す道具のスプーンぐらいの大きさのものですくって食べます。焦げてきたところがまたこうばしくてうまいです。ツウとなると、このスープが鉄板の上で薄い煎餅状になったものを好みます。
もんじゃ焼きは、関西のお好み焼きの流れを汲みながら東京で独特な形になったのだと思うのですが?

【2007年】
昼間は暖かく感じましたが、夜になり冷え込んできました。
ニュースを見ていたのですが、インフルエンザが流行り始めたようです。
今から流行るようではこれから冬本番に入り怖いです。インフルエンザのワクチン注射は大人になってからは受けた事がないのですが、「型」の当たり外れもあるし、ウイルスも進化しているようですしどうなのかなと思います。これから高齢になるとインフルエンザも危ないのですが、予防接種の怖さも感じるし。。。。
スーパーに買い物に行ってきました。<リンク>
スーパーというところはある意味女性の世界。。。ううう
なんて書くと女性に怒られますが、人の本音が出るところでもあります。
時々列に並びながら人様のカゴの中身を見るともなく見てしまいますが、個性というのか・・・・その方の生活が見えるような気にもなります。
人生が見えますなぁ。。。。
今夜は、豚肉の紫蘇の葉巻とほうれん草の胡麻和え、鮭の西京漬け。

【2008年】
(記事なし)

【2009年】
(記事なし)

【2010年】ツイッターつぶやき
拝啓 銀色夏生

「メッセージ」を拝読させていただきました。
すっかり落ち葉の季節になりました
赤やオレンジ、黄色いきれいな葉も
落ち葉となって茶色くなってしまいます
鮮やかな色は命の色ですね

      敬具

強い風もやみました
落ち葉が公園に降り積もっています。落ち葉は風に誘われて片隅に寄り添うように集まりました。手を入れたら温かいでしょうね。

中国が金融の引き締めに移行しそうです。
中国では消費者物価指数が上昇をし、不動産はバブル化しているようです。
この中でインフレは加速しそうな勢いでありそのための金融の引き締めでしょうか。現在の成長を安定的なものにするための「安定成長」を目指すものでしょうが経済成長とインフレの矛盾をどう解決するか、日本やアメリカの二の舞をするのか中国独自の経済政策を行うのか。
中国のバブル化の一つの要因としては、中国が自らが金融危機後に行った50兆円の景気対策にもありますが、現在アメリカが行っている40兆円の景気対策や金融緩和といった資金が中国にも入ってくることによるそうです。それはヨーロッパや日本の金融緩和、日本のゼロ金利や日銀が直接市場へ資金を流すという流れにもあるのでしょうか。
先進国では日本のデフレを筆頭にデフレ傾向が強まる一方その先進国の資金は中国に集まる。先進国の景気対策や金融緩和の資金は「だぶついた資金」として中国に流れる。これを見るとデフレというのは市場に金が足りないからではなくてむしろ金がだぶついているということになる。資金を国内では消費しきれないということ、これはその資金を生かす国内的な経済の疲弊ということになります。経済成長は低く、下手をすればマイナス成長となる現状のなかで、資金はあふれるが生かすだけの国内消費は先細りをしている。それはさらに内需関連の企業を駆逐していく。
経済対策や金融緩和というものがすすめばすすむほどデフレ傾向は強まる。金づまり。。。。資金のだぶつき。資金の海外流出と金が集まる国においてのバブル崩壊。。。。。
このような企業生き残り競争と株価金融に頼る経済政策はすでに崩壊をしているわけで、この経済政策の発想の転換が迫られているわけです。
中国の50兆円とかアメリカの40兆円とか、日本も同じですが気の遠くなるような金がだぶついてきている。一方では、日本を見ても4000億円ほどの子供手当ての財源をどうすると議論されるちぐはぐさ。この矛盾をどうすれば解決できるかがデフレ傾向の解決にもなるのではないでしょうか。
デフレは商品価格を下げ賃金を下げていく。国内消費は停滞をし投資先は狭まる。そこに巨額の政府資金が流れる。国家は赤字を増大させていく。だぶついた資金はバブルと消える。誰が見てもこれは矛盾として見えるだろうが、この毒饅頭を食わざるを得ない飢えた経済システムになっているわけです。
社会資本の整備という言葉がありますが、この社会資本の整備は「ハコモノ」などという無駄なものをつくることではなくて、国民生活の安全や安定につながるものの整備なはずで、同時にそれは福祉といった観念から離れた経済政策から見ないとだめなはずです。国家財政というものは「所得の再配分」として使われなくてはならない。しかしそればバラマキであってはならず、教育や医療、交通などという国民生活になくてはならないもの(それは国家としてもなくてはならないものですが)を整備すると同時に無料化を通して国民負担を減らし最低限の生活は保障されるといったものにならなくてはいけません。これにより労働者の負担が軽減されるわけですから賃上げというものの必要性が薄くなります。例を揚げれば労働者が病気になったり死亡した場合家族のためにという保険がありますが、国家がこれを保障すれば高い保険料という支出がなくなりそれだけ賃上げは必要でなくなります。
労働の生産性の向上は商品の価格を下げる。社会的合理性は賃金を下げる。
これはデフレと勘違いをされますが、社会的な経済政策の変更によっては社会の発展となるわけです。
そこにはもう少しなぜ商品価格は下がる傾向になるのか、賃金はなぜ下がる傾向になるのかを見なくてはならない。

【2011年】ツイッターつぶやき
拝啓 銀色夏生
モノローグ『僕が守る』を拝読いたしました。

また落ち葉の季節になりました
去年と同じように落ち葉は風に吹かれ
去年と同じように落ち葉は雨に濡れていました
僕も落ち葉のように風に吹かれ
雨にも濡れながら毎日を過ごしています
忙しい合間に心は空を見ます
落ち葉たちもその空を見上げていることでしょう
冷たい風に吹かれて去っていく雲
その風は僕の心の中にも吹きました
風が運んできたのは素敵な言葉の雲
この同じ時の中に空を見上げ
心の中から沸き立つ雲のような言葉
それは流れてきて僕の心にすっと入ってくる
僕ははっとしたり微笑んだりして
ありがとうと見上げる空にささやくんだ
そう、僕は守られているのかもしれない
風に吹かれて枯葉は公園の隅に
静かに吹きだまりとなって重なっている
池の底に沈んだ枯葉のような僕の心
それを揺らす水の流れのような言葉
僕ははっとして微笑むんだ
心が動くこと動かしてくれること
風が運ぶ言葉たち
水底に広がる水の流れ

僕はここにいるんだ
       敬具

モノクローグも言葉たちは風に乗って人々の心の中に入っています。
風に乗って運ばれてくる雲をたくさんの方が見上げているでしょう。

【2012年】ツイッターつぶやき
総選挙も公示日となりました。
第一党の民主党でしたがどうなるのでしょうか。
民主党はだいぶ苦戦となるでしょうが、ただ単に民主党批判であってもならない選挙ではないかと思います。やはり二大政党制の形は残るかもしれませんし、選挙後のどのような連立となるかが問われるでしょう。この中に国民生活をはじめとしたこれからの日本の進む方向性が決まるでしょう。
単純にこれまでの二大政党制の中での民主中心の連立、自民中心の連立ではかたずけられない構図が生まれています。野田政権の「決める政治」の流れは三党合意を基にすすめられましたし、二大政党制の役割を自ら終焉に向かわせるような流れが残り、選挙後も三党政治を行っていくのかという構図も国民に突き付けられています。この中で第三極の役割や左派の役割も問われるようになってきました。
三党政治に向かうなら民主自民への支持もまた違ってくるでしょう。ここも総選挙の争点であり第三極や左派の役割も争点となるでしょう。
選挙では激しくぶつかるが、その後は三党体制(もちろん選挙結果では崩壊もあり、枠組みの政党も変わり連立政権ともなりますが)の維持ではある意味国民への裏切りではないかと思います。このへんをはっきりと民主・自民は語るべきでしょう。
今朝の朝日新聞では、選挙後の連立についての民主・自民・維新の考えが紹介されていました。民主党の主流派は三党体制を視野とありましたが、民主党内もこの主流派とは別に安倍政権となった場合の連携批判も出ているようですし、今後民主党がどのような動きになるのかは流動的といってもよいのかもしれません。
一方、憲法問題では、自民・維新は改憲を叫び、民主は「憲法を活かす」といっているようです。この憲法を活かすという中身がかつての社民党党首の土井さんと同じニュアンスなのか、解釈改憲的なものかはわかりませんが、自民・維新とは違うものがあるとみてよいのではないかと思います。もちろん憲法だけが政策の違いと見ることは誤りで、広く国民生活に根差したところでの政策の違いを見なくてはいけないでしょう。民主がこの国民生活の方向性を三党体制で決めるのか、他の第三極や左派を交えて決めるのかがやはり争点でしょうし、方向性を出すことが対自民・維新との争点となるでしょう。

【2013年】ツイッターつぶやき
来年4月実施される3%の消費増税に触れ、安倍総理は「景気が下振れしデフレ脱却が難しくなる場合、「日銀が正しい判断をすると確信している」と明言、追加緩和の可能性に期待を表明した」(ロイターより引用)
これに対して日銀は一定の理解を示しているようですが、そうは簡単に追加の量的緩和はできないようです。
「消費税率の引き上げによる経済の落ち込みを警戒する声もあるが、増税による実体経済への影響が想定内に収まると見通せる限りは「それに対してpreemptive(予防的)に追加的な政策を発動する必要性は乏しい」との認識を示した。」(ロイターより引用)
まさに政府は消費増税による景気の落ち込みはしないという立場から法案を通したわけですから日銀はその見通しに沿い日銀自体もその景気判断にある。同時に日銀は今後量的緩和を行っても今までのような効果はないとしている。そもそも安倍総理が今になって景気が下振れしデフレ脱却が難しくなる場合「日銀が正しい判断をすると確信している」と発言すること事態がおかしいわけです。
消費増税という政府の政策一つ見ても、政府の景気回復が日銀の量的緩和に頼っており、それは政府の責任である賃上げなどによる根本的なところの景気対策が遅れあるいは後退するという自ら招いた景気の下振れの要因をも日銀の量的緩和に頼る姿勢が見えます。
これに対して日銀がどこまで応えることができるか?
「現在の大規模な国債買い入れについても「これ以上、買えるかどうかギリギリの判断をして買い入れ額を決めた」」(同記事より引用)という現状にもある。
政府が国民生活を切り下げることをアベノミクスとしているわけですからいくら日銀でもその尻拭いは続けられないでしょう。財界からの要望もあるでしょうが、「金融機関が既に巨額の超過準備を保有するなか、先行きのマネタリーベース積み上げには相応の不確実性がある」(同引用)状態。企業の国内での設備投資の現状やそこからの銀行の貸し出しがどうなっているのか?
アメリカの中央銀行が一時出口論を言いましたが、日銀もいつか出口論を持たねばならなくなるでしょう。
物価上昇は円安による悪性の物価上昇として現れているわけですから、2%のインフレ目標(今は物価目標)はそこそこに数字の上では現れるでしょうから日銀の責任はそこまでです。物価上昇はあるものの景気の下振れとデフレ圧力は消えない状態となるでしょう。それは政府の政策の失敗なわけです。
秘密保護法案が通れば国民の気持ちの上での自粛と萎縮が現れます。それは経済にも現れるでしょう。生活の不安定性から生存の不安定さに悪化する社会です。国民の無言の行動は経済に現れてくる。

【2014年】ツイッターつぶやき
男の料理というほどではないのですが。
昼飯にしようかと思ったらご飯はたくさんあるがおかずがない。。。。
そこでおにぎりにしようと思いネギ味噌を作りました。
器に味噌・砂糖・おかか・刻みねぎそして味醂を入れてよく練ります。
それをアルミ箔の上に薄く延ばしてグリルで香ばしくなるまで焼きます。
出来上がりです。
熱いご飯に乗せるとおいしいと思います。

今日のツイートのまとめです。
自民党民主党政権時に衆参のねじれが生じて「決められない政治」が問題視された。このねじれからの決められない政治は自民・民主という保守二大政党制の中で生じたものだが、保守として本来はそうは違わない政策の中でのねじれであったり決められない政治だった。
もちろん政権交代での民主党の政策は「国民生活が第一」というマニフェストにあったし、年金問題をはじめ自民党政治の矛盾をどう解決するかといったいわば自民党政治の尻ぬぐいをはじめようとした政権であった。その意味では当初は単なる保守二大政党ではなくて社会民主主義的政策。
しかし民主党脱官僚や無駄を省く財政支出の見直しは失敗をして反小沢問題から消費増税が提起されはじめる。もちろんそこには大震災や原発事故というものも加わる中での財政の考え方の変化もあっただろうが消費増税は政策として進む。そして野田政権となり民主党自民党化が進む。
このような保守二大政党が政策的(国民生活から見て)にはそうは変わらないなかに、ねじれや決められない政治が生じたのはなぜか?
そこにはまず『政権交代』というものが期待として現れていたという事だろう。この政権交代というものは、昔から「万年野党」という社会党批判もあったし、政権を担える「責任野党」そして政権を目指した連立が現れた。その延長線に民主党への政権交代の波が押し寄せたものと思われる。
この中で起きた政策的な変更は、財界・自民党社会党・総評という55年体制を崩壊させて政策の違いの明確さが失われた。その政策の明確さという壁がなくなる中で「責任野党」「連立」は保守二大政党に向かう。
政策の違いの壁がなくなったところでの『政権交代』は何を意味するか?その政権交代の行われ方がどのようになっていくか?それはスキャンダル国会であったりどちらがより国民に対して実際の政策ではなくて「期待」を持たせるかといったものであり、そして保守二大政党しかない選択肢。
自民党がダメなら民主党そしてまた民主党がダメだから自民党へといった動きである。ここにはやはり政策よりも狭い二大政党制の保守の政策の選択肢として現れる。ここでは失望と期待という悲しい選択肢の中で国民は判断せざるを得ない。
保守対革新という政治対立は国民意識からなくなり、どちらの保守に期待して期待をしたがそうは期待に応えられなくてさらにひどくなったという失望。そしてまた毛筆つもう一つの大きな政党に期待をする。。。。。ここに国民の主体性の道は閉ざされるのではないか?
この期待と失望そして失望と期待といった狭い選択肢の保守二大政党制は、55年体制のような政策のぶつかりからの「政策のねじれ」ではなくなり、保守二大政党制の「数の力」のねじれと同時に失望に現れるような国民生活の低下傾向での国民意識と政治のねじれが生じてしまう。
国民生活の低下傾向での国民意識と政治のねじれは経済問題だけではなくて国民の心にも大きなねじれを生じるだろう。投票率の悪さ、無党派層(実は政党不信)の増加として現れる。
しかし国民意識を代表する政党がないのかといえばそうではないが、そのような政党は小選挙区制の下で、あるいは社会党のように自らが55年体制を否定してしまったことで、あるいは共産党の「唯一の革新」という中でその勢力は小さくなった。そこにも国民の失望と選択肢を狭くさせる。
国民は自ら今の政治情勢において国民生活と政治のねじれを見つめねばならないだろう。このねじれをどう解消するかの答えは得られていない。誰かが教えてくれもしないだろう。自ら考えなければならない。このねじれ解消を統一戦線的な国民運動としなければならない。そこに政治家も動く

【2015年】ツイッターつぶやき
(記事なし)

【2016年】ツイッターつぶやき
(記事なし)

【2017年】ツイッターつぶやき
gooお題「2018年のカレンダー何使う?」
カレンダーも買う時代になりましたね。
子供の頃は米屋やプロパンガス屋などなどが集金に来るとカレンダーを置いて行ったものでした。買い物に池が行けばお店ごとにもらえましたし。毎年度のカレンダーがいいか選んで使っていました。
今ではこちらから買いもに出向いてカレンダーない?と聞かないとだめです。
まぁ、それでも2,3個はもらえますのでそれを使っています。
カレンダーと言えば昔懐かしい形の蕎麦屋さんのカレンダーが来なくなりました。。厚紙に蕎麦の写真があって店の名前と電話番号。カレンダーの髪は薄くてペラペラで祝祭日は二本の国旗が交差した絵。日にちの下には旧暦や大安などがかかれている。旧暦を知ることや日を見るというのは日常では少なくなってきましたがないと案が困るものです。
一方では新しい形のカレンダーがきます。
月のカレンダーの下がポケットになっていて集金で支払った領収書などを底に入れておけます。これが案外便利でして、領収書をなくすことが減りました。領収書も何かの機会で必要になるときがあります。一度は新聞代か2回払ってしまい領収書があり助かりました。ガス代払ったっけ?領収書があると便利。
後、カレンダーの日にちのところが広く空いてあるものが助かりますね。まだ我が家は予定を書き込んで使っています。
今年はカレンダー集まるかなぁ。。。。

久しぶりに銀色夏生さんのハローの丘を訪れてみた。
雪景色でした。。。。
ホームページを訪れて断片的に詩を読ませていただいています。
最近はなかなか本も読めなくなっていましたが、またさっと手に触れた詩集でも読んでみようかな。
何か生きるヒントがあるんです。その世界には。

【2018年】ツイッターつぶやき
今年4月から妊婦さんが医療機関を受診すると110円から650円妊婦加算として追加されている。
なぜ加算されるか?
「通常よりも丁寧な診療を評価するため」(上記リンクページより引用)
だそうである。
たしかに妊婦さんの場合、医者も気をつけねばならないものがあるでしょう。しかしだからといって手数料的に診療費を増額させるというのはおかしなものでしょう。お年寄りや幼児も医者は気をつけねばならないものがあるでしょう。
時々バスに乗るが妊婦さんやお年寄り子供などには運転手さんも気を使っている。だからといって例えば50円増額しますとはならないでしょう。
厚労省は妊娠に関係のない診療については妊婦加算は行われないようにするといっているが、
「医師が妊婦だと判断せずに診療した場合」
というちんぷんかんぷんなものが出ている。医師は患者に妊娠しているかどうかを確かめるでしょう。まさか見た目で妊婦かどうかを判断するわけがない。結局妊婦加算により生活にも影響が出る人たちが妊婦ではないというような場合しかないでしょう。
少子化問題が問題になり子育て支援が言われている。
その中で妊婦加算があること自体が社会の実態からかけ離れている。

【2019年】ツイッターつぶやき
日本は知らぬうちに後退する国家になっているのかもしれません。
世間ではマスコミなどを中心に「日本すごい!!」といった論調や来日外国人の日本をほめる言葉に自己満足をしているのでしょう。
しかし経済も教育も社会保障もあらゆる面で社会は後退をしています。あらゆる面での世界ランキングも落ちていますね。ハード面だけではなくてソフト面でも報道の自由度などは悲惨です。
もちろんまだ日本は過去の遺産で食える先進国なのは間違いないでしょうが、中身は土台が腐りはじめている。
今日の池に浮かぶ月でも書きましたが、政府は女性の活躍とか、輝く女性と、子育て支援とか言葉巧みに国民に政策での幻想を植え付けていましたが、やはりその口がふさがらないうちに妊婦加算という医療費の値上げをする。女性は怒りますね。医療費の自己負担が増えるということだけではなく、何が子育て支援だと言葉だけが巧みな政治に怒る。
社会保障の充実、国家財政の安定という幻想を植え付けて2014年と今年で消費増税が行われてついに10%の税率になってしまいました。しかし10月に増税したばかりなのに景気の落ち込みを支えるため、そして企業救済のため、10兆円規模の財政支出が必要だと。社会保障も年金支給開始年齢を70歳とか75歳からといわれるようになり、社会保障の充実も国家財政の安定も言葉だけの幻想となっています。
去年からの政府統計や公文書や統計の改ざんなどが合い続きましたが、今年になって桜を見る会の名簿を処分してしまったとか。
もうあきれてしまうような政治になっています。
あきれてしまえば政府への期待も薄れますが、そこは強い力を持ってしまった政治を前に「強い者には巻かれろ」とマスコミも知識人もそして政治家自らも大勢によりかかる。長い者に巻かれると自分をごまかして強い力に無条件的に従うよう自分を殺すことでしかあきれてしまうことから解放されない悲劇。。。。。

【2020年】ツイッターつぶやき
東京や大阪だけではなくて全国的に見ても新規感染者数は増加をしていますし感染が高齢者にも増えてきましたから重症や死亡も増えています。この重症が増えれば今後時間差で死亡も増えていくでしょう。
東京では65歳以上の高齢者はGo Toは自粛しろとお達しが出ました。
国や都が高齢者へのやさしさから出かけないほうがいいよと言ってくれているようにも聞こえますが、実は家庭内感染や高齢者施設そして病院でもたまにクラスターが出ています。若い人が自由に出かけていて感染すれば必ず高齢者にも感染します。また、高齢者は都内から出るなというのは感染拡大が広がっている中に閉じ込められることに他なりません。
「Go To避難」というのはどうでしょ?
年金生活者は金がないので、100%Go To補助で高齢者を都内から避難させる。もちろんその時は全員PCR検査後ですが。
まぁ、いろいろと条件があってそうは避難できない人もいると思いますが。。。。
でも考え方として、Go toの経済効果はありますし高齢者の感染予防にもつながる。
しかし若い人からは、じじい、ばばぁへの批判が出るでしょうね。

【2021年】ツイッターつぶやき
IMFが世界経済の見通しを下方修正したらしい。
もちろんコロナ下にありオミクロンという不安材料が出てきたということはもちろんあるでしょうが、下方修正せざるを得ないよう人が危険な格差にあるとした。
世界全体の国家間の格差が広がっているようです。
しかし「インフレ加速、食料と燃料の値上がり」。。。
先進国の緩和マネーが経済の成長につながらず、悪性の物価高として現れているためでしょう。この悪性の物価高はインフレとは違う。消費の過熱もないのですからインフレではない。緩和によるカネ余りからの悪性の物価高である。
これは後進国で現れていることではなくて先進国内において現れていることではないか。
特に日本は賃上げもない中での貧困化が進んでおりより深刻なのかもしれない。

【2022年】ツイッターつぶやき
去年の出生数は81万人ほどでしたが、今年は9月段階で約60万人で80万人を切るのではないかとされています。
政府は毎年のように少子化対策を口にはしますが、行う政策は税をばらまくだけです。もちろん出産子育てに対する経済的な支援は必要なのですが、金をばらまけば少子化をなくせるというのは短絡的でしょう。
現在コロナの影響が大きいのですが、医療崩壊が言われ出産にも不安が出ています。コロナだけではなく今の社会の中で出産子育てには多くの不安を抱えているのではないでしょうか。金銭面での支援があるからといって子供を大学まで出すには相当な金がかかります。保育園などの整備も遅れています。
経済的には現在は夫婦共働きでなければある程度安定した生活ができなくなっています。昔のように年功序列型の賃金雇用がなくなり、将来的に安定性のある働き方も見えません。
そもそも結婚を躊躇する若い人が増えていることもありますがこれも経済問題の面が大きい。
口先だけで税金を倭羽化ながらばらまく程度では少子化は止まりませんね。

【2023年】ツイッターつぶやき
円が146円台まで高くなりました。しかしこれは円の力が強くなったからではなく、ドルの価値が減少したということでしょう。
激しいインフレによりドルは価値低下をしています。
しかしその水膨れのドルであっても基軸通貨として存在をしていますから、名目上はドルの力が大きくなります。
それは同時に基軸通貨ですからドルは買われますから為替によるドル高になる。
これは世界経済の大きな矛盾です。
この矛盾に向かい合ったのが、中国やロシア等の経済協力体ともいえるBRICSが自国通貨取引をはじめドル離れを作り出しました。ここにはサウジアラビアも加盟しましたし、更にアラブ首長国連邦が加盟の動きを示し、石油取引をドル以外の自国通貨などで取引を始めたようです。
アメリカ経済を追い抜くとされる中国の経済力とエネルギーと穀物大国のロシアが世界経済を動かす力になっていますから、そこに産油国が加わることにより対ドル勢力の力がドルに影響を持つ。
今のドル安傾向が以上のことから起きているかははっきりしませんが、ドル離れの風がドル安を招くことになるかもしれません。
インフレで価値低下を起こしているドルがその価値どうりになることが世界経済の矛盾をなくしていくでしょう。
日本も+Kるかもしれません。
 
【2024年】ツイッターつぶやき

上野国立美術館で埴輪展が開かれています。
*写真は写してもよいとのことでした。


老人でしょうか


古墳時代の船も大きかったのですね。
朝鮮半島からの渡来人の船でしょうか。


古墳の埋葬品鉄剣の展示もありました。


古墳時代から大和すわりというものがあったのですね。
王様に跪いているのかな。そういえば、魏志倭人伝には、部下は王様に跪いて「アイ」と答えるとありますね。


 

2025年12月3日(水)「保険証」

12月2日、この日から紙の健康保険証は使えませんとテレビで何度も放送していた。

マイナカードに紐づけされたマイナ保険証か資格確認証でないと健康保険は使えなくなる。とはいえ、混乱を避けるためにと来年3月までは期限切れの紙の保険証も使えるらしい。

そもそもマイナカードも利用は個人の判断であるとされていたし、そうは便利なものではなく、逆に個人情報たっぷりなカードですからその安全性が問われたりしていました。メリットよりもデメリット多いシステムでした。そのマイナカードに健康保険証を紐づけすると始まったのがマイナ保険証ですが、やはりトラブルが多く発生しているようです。マイナ保険証も本来は紐づけるのは自由なはずでしたが、紙の保険証がなくなるという強制で普及しようとしてきました。

今後はマイナカード自体を持たない人や紐づけをしていない人の資格確認証での受信時に窓口での負担を大きくする動きも出るということです。

マイナ保険証も高齢者や障害を持つ人には負担が大きすぎます。結局家族が管理せざるを得ないのですが、それも本来はやってはいけないそうで、これからますます国民の実態抜きに強制が強化されていくのでしょう。

 

 

12月3日という日

【2025年】

12月2日、この日から紙の健康保険証は使えませんとテレビで何度も放送していた。

マイナカードに紐づけされたマイナ保険証か資格確認証でないと健康保険は使えなくなる。とはいえ、混乱を避けるためにと来年3月までは期限切れの紙の保険証も使えるらしい。

そもそもマイナカードも利用は個人の判断であるとされていたし、そうは便利なものではなく、逆に個人情報たっぷりなカードですからその安全性が問われたりしていました。メリットよりもデメリット多いシステムでした。そのマイナカードに健康保険証を紐づけすると始まったのがマイナ保険証ですが、やはりトラブルが多く発生しているようです。マイナ保険証も本来は紐づけるのは自由なはずでしたが、紙の保険証がなくなるという強制で普及しようとしてきました。

今後はマイナカード自体を持たない人や紐づけをしていない人の資格確認証での受信時に窓口での負担を大きくする動きも出るということです。

マイナ保険証も高齢者や障害を持つ人には負担が大きすぎます。結局家族が管理せざるを得ないのですが、それも本来はやってはいけないそうで、これからますます国民の実態抜きに強制が強化されていくのでしょう。

 
≪過去の記事≫

【2003年】
「溺レる」
文春文庫
川上 弘美  著

川上さんの作品ははじめて読みました。
ものすごくアクの強い作品です。そのほかの作品も同じなのでしょうか?
「溺レる」他、7つの短編からなっています。
どの短編も、愛欲、飲食、排泄と、人間の欲望がむき出しとなった作品です。もうひとつの主題、「死」もある意味では人間の欲望となりますが、作品中にも死がひとつの欲望として表れているのではないかと思います。
すべての短編に共通するのは、ある過去を背負った男が過去を捨て、捨てるというよりもその現実から逃げています。そしてその男にはっきりとした愛情がないままについてくる女です。二人は現実というものから逃げているわけですから、社会の中で孤立をしている。なんとなく寄り添うものは二人というお互いどうしである。
この狭い中に二人は「生きている」。食べるために働くという最低限の現実とのかかわりのほかには、自分たちが生きている証はその動物的な欲望だけである。短編ごとにいろいろな性が描かれている。よく食べてよく飲む。排泄・嘔吐などという恥ずかしさは、お互いの関係の中で当たり前のようになり、動物的な獰猛さも描かれる。これがまた愛欲に結び付けられる。
このような動物的な「生きている」状態の中に、ただひとつの人間的なものを持つ。それは、自らの命を自ら絶つという人間的なものだけである。
動物のように、本能的な欲望だけに生きている中にそれは人間としての死と同じ状態を見る。生きていても死んでも二人にとっては同じである。読む者も生と死の境界を感じなくなる。
「百年」という短編の書き出しは、「死んでからもうずいぶんになる」と書かれ、「無明」には、「トウタさんと連れ添ってからじき五百年にもなろう」とある。
「百年」は、心中をした女だけが死に、相手の男は生き残って平凡な生活を送り、女は意識だけがこの世に残って男の一生を見送るというものである。その二人の過去は、やはり動物的な本能だけの二人であった。女にとっては生きているのも死んで見届けているのも同じである。「無明」は、情欲の果てに永遠ともいえる命を持つことになった二人である。やはり生きているのか死んでいるのか、「百年」の女のように意識だけがこの世にさまよっているのか、本当に生があるのか判然としない。その意味で生きているのも死んでいるのも同じである。
このような生、動物的な本能は生の根本である。同時に「人間性という皮」をかぶってこそ人間の生である。このへんを強く感じました。
この「人間性の皮」については、トップページの「ちんまりと」に書いておきました。よろしければこちらも読んでみて下さい。

さっき買い物に出たら、半そで一枚でランドセルをしょった子供がいました。
見ている僕が寒くなってしまいました。
11月に入った秋、大人たちもいろいろな格好をしていました。まだ薄着の人や、気が早く本格的な秋の格好をした人。さまざまでした。
暑さ寒さも個人差があります。まあ、女性はファッション性が一番大きいかな。

【2004年】
昨日の日記、キリストの復活は、春分の後の復活祭でしたね。。。
週末は東京も天気が崩れそうです。乾燥状態が続いていますので少しお湿りもいいでしょう。風邪も流行っていますし。
そういえば、東京では過ぎ花粉症が出ているようです。僕も時々くしゃみが出ます。
春先のスギ花粉ですがなぜこんな季節に?と不思議です。植物は自然災害に敏感だといいます。地震の前には竹が花を咲かすとか。。。。スギ花粉も不気味です。単なる異常気象の影響だけならいいのですが。

【2005年】
「晩鐘(上・下)」
                        双葉文庫
               乃南 アサ  著
「風紋」(上・下)の続編である。
「風紋」が発表されたのが1994年。そして「晩鐘」は2003年に発表された。「晩鐘」は、「風紋」の中に登場した人々の7年後を描くが、乃南さんご自身も「風紋」を発表してからちょうど7年を隔ててこの作品を書いたことになる。乃南さん自身の時間の流れと「風紋」に登場した人々とは時間の流れを共有している。ちょしゃである乃南さん自身もこの7年という時間の中で変化したであろうし、その変化の流れの中に「晩鐘」もあるのかもしれない。ある作品に登場する人物と著者とが同じ時間の流れの中に変化して続編を書くといくということに著者の思い入れを感じる。
僕は、約半年という時間をおいてこの両作品を文庫という形で読んだわけだが、乃南さんファンは、発表直後の単行本で「風紋」を読み、そしてやはり7年という時間をおいて単行本で「晩鐘」をお読みになったことと思う。その意味では、読者も自分の7年という時間を「風紋」の登場じんぶつと乃南さんご自身とこの7年という時間を共有したのであり、7年という時間の流れを読者自身の日常の流れに感じ取り、実感を持って時の流れを感じつつお読みになれたのではないかと、少しうらやましい思いが沸き起こりました。
これから「風紋」と「晩鐘」を読んでみようという方がいらしたら、最低でも半年から1年ぐらいの時間をおき、「風紋」の細かなところを忘れかけたときに「晩鐘」をお読みになることをお薦めします。
新聞記者建部は、7年前の事件の被害者の娘である高校生であった真裕子を思い出し、変わってしまった加害者の妻香織の7年前の姿を思い出す。そしてその7年という時間の重みを成長過程の早い子供である加害者の息子大輔に目を見張り感じる。こんな建部の思いを「風紋」を読み終わってからしばらくして「晩鐘」を読んだほうがこの「思い出」あるいは「変化」を感じ取りながら読めるのではないかと思う。
7年という時間は長いのか、短いのか。
真裕子の母親則子が、真裕子の担任でもある教師秀之に不倫の果てに殺されたという衝撃的な事件も世間では「ああ。。。そういう事件もあったなぁ・・・」というぐらいに風化をさせる時間である。その意味では長い時間である。新聞記者建部も深く事件にかかわったとはいえ、7年の間には東京本社から長崎支社に都落ちをし、結婚はするがすぐに離婚と、様々なことがその私生活には起こった。その意味では長い時間だったのかもしれない。しかしそうのような世間の中にあって時間が止まってしまった人々がいる。真裕子は、母親の死をいまだに受け容れられなかった。妻の死を忘れたかのように再婚をした父。そしてあんなにも母親に心配をかけた姉も母を忘れたかのように結婚をして子供もできた。その中にあって真裕子自身だけの時間は止まったままだった。真裕子にとっては、7年という時間が長いのか短いのかという簡単なものではなくて止まった時間の中に生きざるを得なかった。
加害者の妻香織や義弟にとっては、世間という空間の中で必死に生き抜くことしかできなかった時間であり、7年をいう時間はどうだったのだろうか?毎日を必死に生き抜くことしかできなかったならば、やはりあの事件以後の時間は止まったままだったのかもしれない。
そして秀之は。。。。
しかしこれは大人の中に流れる7年という時間の流れである。
加害者の息子大輔、娘絵里という子供達の成長の中においての7年という時間は、まるで霧の中に見る風景のようなほとんど記憶のない世界から今ある自分を見るしかないのである。長崎に住む祖父母に育てられなぜ両親がいないのか、隣の叔父夫婦や従兄妹たちにいじめらられなければならないのか、何一つとわからない今という時間におかれる。
このように「風紋」の登場人物はそれぞれの7年間という時間が通り過ぎた今に生きていた。
そんなある日、大輔の従兄弟歩が殴り殺されるという事件が起きる。
犯人はすぐに捕まりこれという大きな事件としても扱われないほどだったが、長崎支社にいた建部は、取材先の歩の葬儀に来ていた香織と偶然に再会する。建部は7年前という時間に引き戻される。偶然過ぎる偶然。。。そして建部は香織と一緒にいた大輔に事件とのかかわりを直感する。
ここから「晩鐘」は始まる。
主人公は25歳になった真裕子であり、副主人公は10歳になる小学生の大輔。そして2人をつなぐ建部である。この3人が語るように作品は進んでいく。歩が殺され事件を追うが、それはきっかけだけであり、流れはやはり「風紋」が描いたように被害者の家族と加害者の家族の物語であり、それ以上に真裕子と大輔の中に現れる精神面での葛藤を描く。そして建部が追う世間というものが2人に絡み合い、建部と真裕子の愛を描く。
7年前の事件は、まだ高校生であり母親に甘えながら相談もしたい年頃の真裕子にとっては、心に大きな傷を残し、その傷は、周囲の人々との間に摩擦もおき、真裕子自身も嫌な性格と思うほどに心を殻の中に押し込める。大輔にとっては7年前の事件は、そのときの母親香織に苛立ちの様子をおぼろげながら覚えているぐらいで、その母親も今になっては叔母という形で現れるだけである。しかし記憶にないにもかかわらず7年前の事件により大輔を邪魔真にする叔父家族の仕打ちにそして両親が誰かわからない不安の中に心を傷つけられている。体は大人並だが心はまだ幼さを持つ。
アダルトチルドレンとは
インナーチャイルドとは
僕のホームページからリンクさせていただいている「窓際主夫のひとり言」という窓際主婦さんのブログで、このアダルトチルドレンインナーチャイルドという言葉を知ったが、ネットで調べているうちに、真裕子や大輔の中に7年前の事件という心に大きな傷を残したことによる心の障害が出ているのではないかと思う。
真裕子は、母親が殺害されたことでまだ甘えたい相談したいと思う母親から強制的に突き放される。父親は不倫をし、姉は家庭内暴力で母をないがしろにしているという意識が持っていた。そして母親の死体をはじめに警察で確認したのは真裕子一人であり、父親も姉も帰ってこない夜を過ごす。母親でさえ不倫の中で殺された。母親の死後は、真裕子に家事の重みが襲ってくる。高校生というまだ母親に甘え、父を頼りにしたい年頃の7年前に真裕子の時間は止まってしまい、心も取り残されてしまう。ここにアダルトチルドレンインナーチャイルドという症状を見ることができるのではないか?たしかに虐待ではないが結果としては心に多くの傷を残したという面では虐待に等しい。
大輔は、よい子を演じる。わけもわからないのに両親がどこの誰だかわからない状態に置かれ、母親の実家に住むが同じ敷地内の叔父家族からはないがしろにされて育った。早く大人になりたい。病気がちの妹を自分が父親となり守ってあげたい。しかしまだ子供であり自分自身をも守り生きることもできず、ましてや妹を守ることもできない。今は良い子を演じるしかないのである。この早熟さは心だけではなく体も大人並になっており、女を知ってしまっている。しかし心の中には幼さが残り、今の自分を否定をし、雨の吹き付ける夜のガラス窓に写る自分の顔を見てその写った自分が別の世界にいて幸せな子どもとして生活していることを想像する。大輔はまだ子供だが、ここにアダルトチルドレンインナーチャイルドの傾向を見ることができるのではないか?子供のこのような症状にはまた違った臨床名があるかと思うが、僕にはわからない。しかし、真裕子と同じような心の障害を持つことは確かではないか?
「晩鐘」は、この二人の心理と心の葛藤を描き続けたといっても過言ではない。
建部は、香織と再会をし、真裕子とのメール交換を通して、接触しながら加害者家族・被害者家族のその後を追うルポ「連鎖」を連載し始める。これは、僕の「風紋」の感想として異界ために見えぬ「世間というものが犯した犯罪」を世間に問うという正当でもあり正義でもあるルポであっただろう。この意味においても「晩鐘」は「風紋」の続編なのであり、建部という記者の目で見た被害者家族・加害者家族の描写が全体の中に貫かれている。
このように、この作品は真裕子と大輔の心理と心の葛藤を描きながらそこに建部の記者の目が加わり一つの結末を迎えていくのである。
その結末の一つは、真裕子と建部との愛である。それは同時に真裕子の心の開放でもある。
真裕子は、事件のすべてを知り昔の自分を知り理解してくれるたった一人の人間である建部を慕う。しかし建部もそうは強い人間ではない。真裕子が支えなければ崩れてしまうような弱さを持っている。そんな建部を支えなければという意識が出たとき、愛となる。同時に、父親の再婚相手には10歳の連れ子が居り、真裕子にとっては突然の義弟となり現れる。少しづつ打ち解ける中に、その義弟に真裕子は母性で接するようになる。真裕子は、建部を愛し、義弟を愛しむ中にアダルトチルドレンインナーチャイルドと思われる心の傷を癒していく。この過程に流れる真裕子の変化は温かみのある幸せを感じるものとして描かれ、読者もほんのりしてしまうだろう。
しかし建部は大輔ともかかわるし、大輔を心配する。
しかし。。。。
この結末は書かないほうがよいだろう。
真裕子の幸せに涙が止まらないだろう。同時に大輔の結末にも涙が止まらないだろう。
この大輔の結末に対しての涙は、悲しさでもなく苦しさでもない。やるせない気持ちからの涙だと思う。
7年前という時間は取り返すことができない時間である。その時間の流れの中に常に流れる「連鎖」。この連鎖を断ち切れないやるせなさである。建部にも新たな不安が漂う。真裕子が結婚後に植物を育てる仕事をしたと言い、どこか田舎のほうでできれば幸せだというが、建部は心のかなで「そんな田舎にいくということは、俺にとっては左遷だ」と思う。これが事実となることを暗示をする思わぬルポ「連鎖」の影響を世間がどう見るのかという不安を読者は抱くだろう。出所していた秀之。。。秀之と大輔は接触していた。秀之は大輔の結末に涙する。その涙は憎しみかもしれない。建部と真裕子の幸せは。。。
こんなことを思い描くことができる結末であり、ここにもやるせなさという涙が出てくる。連鎖は続くのである。「風紋」から「晩鐘」へ、「晩鐘から」から。。。「晩鐘」も続かざるを得ないだろう。

【2006年】
昼時、ファーストフード店に行った。
「いらっしゃいませ!!」「ご注文は何にいたしましょうか」
「○○をください」
「はいかしこまりました」
(たのまれたのをそろえながら)
「ご一緒にお飲み物やポテトなどはいかがですか?」
「・・・・・」「じゃァ。ポテトをください」
(ちらっとポテトのほうを見て、明るい声で)
「ポテトはしなぎれです!!」
「・・・・うううう」
接客マニュアルの落とし穴ですなァ。そして在庫管理の強化の落とし穴でもある。
今、この日記を書いていて「マニュアル」という言葉が出てこなくてイライラした。最近こういうことがよくある。。。。単語が出てこないイライラというのはどんよりしますなァ。イライラすると胃がきゅ~っとなる。本と体に悪いです(笑)
そういえば、さっきまで手に持っていたものをどこかに置き、さて使おうかと思ったらどこに置いたのかがわからなくなるイライラも。。。。。「さっきまで持っていたんだようなァ。。。。もうっ!ムカ」これもまた胃がキリキリと痛む(笑)
あと、目の前にあったにもかかわらず、一生懸命に探し、あきらめた頃に目の前のものが見えたとき。。。
なんかこういうのも老化なのかな?それとも考え事をしていて集中が足りないのか?

【2007年】
(記事なし)

【2008年】
(記事なし)

【2009年】
(記事なし)

【2010年】ツイッターつぶやき
一部高速道路の無料化を「社会実験」という言葉で現していたように思う。
高速道路料金については、土日・祝祭日は1000円というものが来年なくなるようで、その後は検討中らしいが、すべての高速道路無料化というマニフェストはチャラになり、車種による上限が新たに検討されているようです。軽やエコカーは1000円、その他の普通車は2000円が上限に。予備曜日に関係なくということは平日も?
3歳以下の子供に子供手当て。これもマニフェストがチャラになった中の代案ですが。
そのほか政府によるいろいろなバラまきが行われていくわけですが、これが一つの社会実験となることはたしかでしょう。
また、「休暇分散化」というものも検討されていたようですが、休む日を分散化させることによるメリットやデメリットが。これもまた社会実験でしょう。
さらにこの社会実験というものがすすむと、医療費や教育といった国民生活になくてはならないものの無料化にすすまざるを得ません。それが社会民主主義という社会実験にすすむ。
そうなると国の財源が問題になり、消費増税が出てくる。
そこで社会実験ですが、以前にも書いたように労働者の労働力を買ったときにも5%の消費税をかける事が検討されてもいいのではないでしょうか?企業は個別の競争からはんれて平等な支出となり、賃上げを形を変えたやり方でできる。この消費税には益税を設けたり、中小零細企業には還付も必要でしょう。これにより個人消費は増えるわけです。
アメリカが40兆円・ものバラマキをして個人消費がクリスマス前に伸びたといいますが、これまでの日本の景気対策と同じように早ければクリスマス後には破綻します。そしてまた株価が下がります。こういったものではない経済成長への社会実験。これが必要でしょう。その道筋にあるのが社会実験としての日本型社会民主主義です。

(追記)
休暇分散化ですが、国民すべてを週7日に休みを振り分けて学校やすべての社会帰還や企業を365日営業とする。これは相当メリットのある社会実験です。土日に休みたいというのや知人と過ごす時間がとりにくくなるとかというデメリットは、土日に休んでいる人たちの個人的なもので、考えようによっては役所や銀行に行くとかは便利になるわけです。これもまた社会実験でしょう。

【2011年】ツイッターつぶやき
磯田道史著「武士の家計簿 加賀藩御算用者の幕末維新」(新潮新書
加賀藩藩士御算用者猪山家の30年にも及ぶ家計簿と暮らしをつづった貴重な資料の発見からそこに書かれた武士としての一家族の生活と武士というその当時の支配層の暮らしぶりをまとめた本です。
同時にまだ徳川幕府時代であった幕末と維新そして明治の代に武士がどのように生きたかの記録でもあります。一つの大きな歴史の転換点で武士そのものがいなくなる中で旧武士はどのように生き残りをかけたか。
これを詳しい家計簿の分析から「生きた武士」を描いたすぐれた本ではないかと思います。
武士は反より『給料』として米と銀(石高による)を受け取る。米は売って「現金化」する。藩の経理などを行う猪山家は今の金に換算をすると父直之が700万円、息子信之が530万円で合計1230万円の年収となっていたようです。家計を一つにした二世帯住宅に住む大企業のサラリーマン家庭といったところでしょうか。このあと猪山家は出世をしていきますから年収は増えていきます。
武士も大名や上級武士になれば世襲制ですが御算用者というのは息子だからと世襲するわけでもなく幼い頃より算盤や数学を勉強して藩に召し抱えられなければならない。その意味では勉学は相当厳しいものがあったようです。
猪山家は藩の官僚ともいえるような重要な位置におかれれて幕末の藩を支えていました。
加賀百万石の大大名家の官僚として相当の年収もあるわけですが、家計簿を見ると赤字だらけで借金地獄に落ちた時代もあったというその当時の武士の支出も詳しく書かれています。
藩主に見込まれて出世をしたのはいいが江戸づめを命じられて家計門住生活という出費も出て江戸のいけばそれなりの付き合いなどもあって家計は苦しくなる。同時にその当時の支配層の武士ですから家柄や石高によるそれに見合った支出もしなければならず、形骸化していたとはいえ家来や下女を置かねばならない。先祖の残してくれた「家」ですから先祖を敬うための寺や周忌などの支出もそれなりに行う。この本ではこのような支出を「身分費用」という言葉で表していますが、年収1230万の家柄の武士はそれなりの「身分費用」という支出を行わなければ格に傷がつく。
一時は2000万円(だったかな?)以上の借金をしてにっちもさっちもいかずに先の「家」の継続を考えれば借金整理をしなければならないくなる。着物や刀まで売って借金を整理する。
親戚同士での借金は日常茶飯事でその意味でも親戚通しの付き合いは大切にしなければならない。しかしこの親戚づきあいがまた出費を増やす。ご主人様といっても小遣いは6000円に満たずもしかしたら一緒に出掛ける家来の懐の方が暖かだったのか。
このように大きな藩の官僚でも武士というのは幕末には相当厳しい生活をしていたようです。
猪山家のようなまずまずな年収のある武士ですらこのような生活ですからそれ以下の武士の生活は推測できると思います。時代劇で長屋に住んで傘張りの内職をするという武士もまんざら物語ではないのではないでしょうか。
異常なような武士の姿をこの本ではいろいろな角度から明らかにしていきます。この中に武士の「生きた姿」が見えるように思いました。
大名も藩のやりくりが大変でご応召から借金をするといったものがあったように何かで読みましたが、幕末ともなれば貨幣経済が発達をしますから給料の米や銀は両替をして細かい貨幣の銭にしなければならない。億特両替商というのも時代劇に出てきますが、金融も発達していたのでしょう。時代は商人の時代になっていた。武士の権威も金には勝てなくなっていたということでしょう。時代は資本主義を求め始め、その流れを西洋に学んだすぐれた下級武士と商人が結び付いて明治維新を迎えて行ったということだと思います。その中で猪山家は算盤や数学にたけた家柄ですから、明治維新を切り抜けていきます。加賀の数学は日本でも有名でその中でも出世をするほどの猪山家ですから算盤によって生き残っていきます。もちろん明治維新後といっても武士は武士の誇りがあるわけで承認になったわけではなくて算盤と数学を生かした海軍という国の官僚となっていきます。直之の孫の成之は海軍の官僚として今の金にして3000万円ほどの年収を得る。親類の武士たちは多くは没落をしていく。しかし成功をした猪山家も資本主義の中の日清日露戦争に翻弄される。
だいぶ前に古代の荘園制の崩壊と武士の台頭がどのように行われて日本がどのように武士の世としての中世が生まれたかという本を読んだことがありますが、今回読んだ本は、その武士たちの封建制の時代がどのように資本主義としての明治の代になっていくかを一人の武士の生活からの一面として描かれているのではないでしょうか?
武士はもう必要ではなくなった。刀では西洋の大砲や軍艦には勝てない。貿易が国を発展をさせる。そのためには日本も向上や銀行鉄道などが必要になりその担い手は商人だったということでしょう。明治の代が猪山家に求めたのはやはり算盤と数学だった。武士の猪山家ではなかった。武士の「身分費用」というものは商業を発達させるある役割はあったろうが、新しい時代にはただの無駄でしかなくなったのである。

【2012年】ツイッターつぶやき
朝日新聞の記事に「それでも、政策で決める選挙だ」という記事があった。
リンク先は記事の中身をすべて読めませんが、マトリックスという図だけを見ても興味あるものだと思います。
民主党が適したマニフェスト政治はある程度の政策を決めましたが、肝心要の国民生活に関係する消費増税を菅政権がいきなり打ち出して野田内閣で成立をさせ、また原発事故というものに対する対処やその後の大飯原発の再稼働も行い、国民意識からかい離したものが目立つ中にマニフェストというもの自体への不信感が生まれてしまいました。
しかしいくら政策を立てても実現しないなら。。。。。といった意識になったならそれもまた国民の悲劇ではないでしょうか。
同時にこのマニフェスト政治の失敗から政治の民主主義も問われるようになり、「決められない民主主義」といった意見も出るようになってしまいました。決められないのは民主主義が邪魔だからではなくて、常に二大政党での政局政治の結果としてのねじれにあったわけです。
この民主主義が邪魔といったものに自民党や維新の会の改憲路線も無関係ではないのではないかと思います。これも国民の悲劇です。
こういった視点で見ればやはり「政策で決める選挙だ」。
マトリックスの図を見ると、自民党・維新の会・みんなの党改憲をはっきりといい政策的には新自由主義といってもよい「小さな政府(個人で自立することを重視)」政策を持ちます。一方では、社民党共産党民主党(これは党内の一部とみた方がいいのかもしれませんが)・未来の党公明党(これは自公路線がありますから今後どのような立場に立つかにありますが)福祉国家あるいは社会民主種や共産主義そして一方的な新自由主義ではないという意味の出の中間派がいる。これは改憲に対しても同じ構図を示して護憲と中間派といったものになります。
この構図はしっかりと見なければいけないと思います。自民党や維新の会が改憲をそして自民党国防軍構想を出していること自体選挙の争点をつくりだしています。維新の会は最低賃金法の廃止などとも言っていますし、自民党建設国債という国民の借金を増やして(10年で200兆円)公共事業をといっています。どちらもが企業の利益が上がれば国民生活も向上するといったこれまで失敗した政策の繰り返しでしょう。脱原発も消極的で、この先どうなるかを見て決めるといったような原発の継続を言っています。
民主党やその他の小さな党も意識するしないにかかわらずこの自民党の争点づくりに対する政策を言いはじめています。それがある意味反自民党的な結集する条件を産む可能性があります。生活党が未来の党に合流をして社民党との選挙協力や政策協議にも進みそうです。
それぞれの党がそれぞれに選挙目的であってもその考え方と政策を出しているわけですが、それがだんだんと一つの争点となって見えてきているのではないでしょうか。それが憲法と暮らしという国民生活に多大な影響を及ぼす大きな争点であることが見えてきます。

【2013年】ツイッターつぶやき
日本政府はずっと安保の中に時刻自国を置いていた。軍事面はもちろんそれは経済にも波及していた。同時に日本の政権内には改憲理由を含めてアメリカの傘から抜ける動きも示してきた。もちろんアメリカも日本の基地の重要性と経済を重視してきた一方ではロシアの立ち直りや中国の発展そしてロシア・中国の柔軟さの中に日本一辺倒で入られなくなってきた。
軍事面の安保の重要さと世界1位と3位の経済を握る経済的なつながりも切り離せないが互いに安保関係は利用するものという位置づけが強くなっているのかもしれない。あるいは今のアジアでは安保関係は古い体質となってきているのかもしれない。
日本は安保を利用しながら中国をけん制しようとするが、アメリカは軍事面の安保に抵触しない事柄なら中国ともロシアとも連携を強める。日本は独自の道を歩く方向を示して改憲を中心に今秘密保護法を対米関係から離れた統治の中に組み込もうとしそれをばねに力による中国への圧力にしようとする。
中国の今回の領空識別権問題でも朝日新聞の記事を読めば、日本がアメリカに要求する対中国への強硬姿勢とアメリカのアジアの安定とに違いが出ている。民間機の飛行計画の中国への提出での違いが出る。その中にアメリカが望んでいるものが見えるだろう。この中に安保自体がどのような役割を持つのか?もちろん中国が軍事康応に出ればアメリカは動くでしょうが、中国はしたたかで強硬さと安定化を見せる。強硬さが行過ぎれば危機になるが安定化でそれを緩和している。アメリカはその中国のアジアの安定化という面に乗らざるを得ないでしょう。安定化には両国は一致をする。その中で日本の強硬路線がさらにアメリカを困惑させるでしょう。改憲や秘密保護法の中身においてはアメリカさえ警戒感を持つ。それは終戦という歴史問題でもある。
韓国も強硬さと安定の両面を持つ。
このまま行けばアメリカが日本をもてあます時期がくるのではないか。
アメリカと中国・ロシアはいざとなれば腹を割った話ができるという互いに敵ながら天晴れという認め合うものがある。それが悪いか良いかは別としても。その中で日本が安保を利用する面が強くなった場合どのような国際関係の中におかれるか。。。。
外交は孤立したほうが負けです。自分を捨てて孤立しないではなくて世界がどのような方向に動いているかの判断の中での「孤立をしない」です。そこに古い日本を見せてはならないということです。

【2014年】ツイッターつぶやき
労働力の移動が必要となる場合とはどのようなときか?
経済が発展しはじめた時に新たな成長産業が生まれてそれがまた産業構造まで変えていくような場合にその成長産業に労働力が足りなくなる場合である。もちろん成長産業が生まれるときにスクラップ産業も生まれるかの世は高い。そのスクラップ産業から労働力を成長産業に移動をさせなければならない。
この労働力の移動は、スクラップ産業での首切りによる失業した労働力の吸収という事になる。労働力の移動はこのように暴力的であり労働者に多くの犠牲と負担をかける。
しかしこのような労働力の移動はまだましな方なのである。
労働力を吸収する産業があり、そこでの賃金が保障されるなら多くの労働者は救われる可能性が残るのだから。
しかし今言われている「雇用の流動化」とはどのようなものか?
失われた20年の中で経済は低迷をして成長産業が見えない時代になっている。デフレ不況は深刻となっている。このような中では上記したような「労働力の移動」は起きない。
そこで起きているのは雇用の流動化といわれるものであり、アベノミクスにおいて失業率が下がり雇用が拡大しているといわれるが、中身は正社員の割合の現象であり、不安定雇用の増加という形をとっている。このような正社員から不安て雇用に労働力を移動させるものが雇用の流動化なのです。安定した中間層としての雇用と賃金を低賃金へと労働者を移動をし、解雇の自由論が高まる中での不安定な雇用の増加なのである。
ここで見る雇用の流動化は明らかに労働力の移動とは違う。不況の中での企業の生き残り策としての雇用の流動化であり、経済発展の過程においてのスクラップ&ビルドでの労働力の移動ではない。
雇用の流動化は許してはならない。

【2015年】ツイッターつぶやき
(記事なし)

【2016年】ツイッターつぶやき
(記事なし)

【2017年】ツイッターつぶやき
newsweekに二つの記事があった。
長時間労働で減退する、日本の働き盛りの知的好奇心
働き盛りが読書しない日本、やがて訪れる思考停止社会
ツイッターで時々目にするツイートで日本人は今の政治や社会を考えない思考停止になっているといったものがある。すでに思考停止は始まっているのでしょうか?
知的好奇心と読書とは切っても切れない関係にあります。
ですから、知的好奇心が減退し、読書しない人々が増えていけば確かに思考停止社会を加速するでしょう。今は読書をしなくても様々な知識や情報を手に入れられます。しかしこの知識や情報は思考ではない。膨大な知識や情報量があるがそれを処理するには思考が必要です。知識と思考は別物です。最近考える力の教育が言われていますが、まさに思考は考える力です。
読書はもちろん知識や情報を得るものです。しかし1冊の本を読む行為と時間は数日という長く続くものです。この中で考えることが必然となります。時には前のページまで読み返したりしながら理解しようとします。また以前読んだ関連する本を開くこともあるでしょう。又は小説や詩の本を思い出すことがある。今読んでいるほんとはまったく関連性のない本を思い出しハッとすることもある。そして批判的に読み進める中でまた考える。
本を読んでもほとんど中身は忘れ去られることが多いのですが、すべてを忘れるのではなくて思考の血肉として残っているものです。
このように読書によって得た思考力(考える力)が今の膨大な知識や情報を処理する基礎となります。
知的好奇心は知識や情報をたくさん得たいというものではないと思います。
思考する中で、これはどうなんだろ?あれはどうなんだろ?と考える中で知りたいという気持ちが高まる状態でなければ知的好奇心は膨らみません。詰め込みは苦痛となりますが、考えることは楽しみとなっていきます。ですから知的な人ほど専門の知識から離れた様々な知識を追い求められます。
では日本社会が思考停止になっていく理由は何でしょうか?
読書量と言いますが読書は有り余る時間があるからできるというものではありません。先ほど書いた知的好奇心がなければ本は読めません。長時間労働だから読書もできずに知的好奇心が薄れるとだけでは説明できないでしょう。
社会のシステムが知的好奇心や考える力を必要としないようになっており、それを政治や企業が生み出しているという事です。
1960年代から70年代の安保闘争時代は労働者や学生は自ら考えることを行っていました。しかし政治や企業はそれを必要とせず逆に邪魔になった。知的レベルが高く国や企業に何も考えずにあるいは忖度して従う人間作りが求められた。今後憲法改悪がありそうですがこれが考えない日本人をさらに増やして考える日本人を押さえつけるでしょう。
こういった社会が日本の社会システムとすれば考えることひどい場合は読書することが異端視扱いされる。
「趣味は?」
「読書かな・・・・」
「まじめぇ~・・・あははは」
こういう日常が生まれます。
同時に議論を深めること自体も蔑ろにされます。
議論よりも力ですよね、今の時代は。
古代弁証法すら忘れ去られている。
この状態がまた政治にも働き方にも悪影響を及ぼして負の連鎖は底なしとなる。
何も日本人の知的レベルが下がっているわけでもないのに今後はノーベル賞が無理ではと言われている。知的好奇心を活かせない社会システムならこれは当たっているでしょう。そしてアメリカなどの大学で働く研究者がノーベル賞でも取ると、「日本人、すごい!!」と見当はずれの愛国心が生まれる。
(追記)ツイッターから
知識や情報という面では、スマホ1台持っていれば深い専門性を求めなければ図書館を持ち歩いているようなもんですね。しかし思考・考える力はスマホにはない。思考・考える力も知識や情報としてでしか知りえない。
こういう考え方をしなさいとスマホが教えてくれてその通りに動くようになった時、人間は人間でなくなる。こういう考え方をしなさいというものはすでに誰かがインプットしてしている社会かも。。。。

【2018年】ツイッターつぶやき
朝日新聞12月2日朝刊1面に「中絶か帰国か 迫られた実習生」という記事があった。
ベトナム人女性【22歳】の外国人実習生は妊娠をした。すると企業の担当者から「中絶するか、ベトナムに強制帰国かのどちらかを選べ」(引用)といわれた。しかも中絶をするなら「中絶の薬を与えるともいわれた」(引用)
渡航費の100万円は親類などからの借金。日本で働かねば返せるとは思えない。
そして女性は逃げた。。。。。
またある研修施設では「恋愛禁止」に署名させられる実習生も出ている。日本で働くための「意識改革」。。。。
政府は2016年の答弁で妊娠、出産、結婚を理由とした強制帰国を違法ととしたようである。しかし現実はこの「違法」が正々堂々と行われている。
現在国会でも新たな外国人労働者の受け入れについての法案が討議され散るが、衆議院ではやはり数の力で討議時間も少ない中で可決され参議院でも野党は政府の矛盾を突く発言が出ている。このままではやはりかうのちからにより可決されるでしょう。
法で縛りをかけたとしても細かな点になれば省令で決められる。症例は法より縛りが緩くなるでしょうし、しかも企業内となれば無法的な取り扱いがされる可能性を朝日新聞の記事は表している。
外国人労働者は休暇制度があると聞けば、先進国である日本だから真に受けて休暇を取るでしょう。しかし現実は日本の労働者も休暇を捨てている実態が。その中で休暇も取れないという真実を目にすることになるでしょう。日本で働くための「意識改革」は休暇を取ることは迷惑をかけることになる。結婚すれば寿退職。さらに妊娠すれば生産性が落ちるという論理外資の入学試験にも出ているような実態。子供を産めば保育園もない。この真実を知らしめるのが意識改革という名の研修なのでしょう。
たぶんこのベトナムの女性の現実を見て、日本の労働者はそうは感じるところが少ないのではないかと思う。日本人ならば法で認められる労働条件などは現実には存在しない部分があることを日常みているのだから。
もうこのような社会は発展性がないですね。

gooのお題に「コスパの良い神コスメを教えて!」というのがあったので参加しようかと思ったが、お題の意味が全然理解できない。
コスパ?コスメ?神?(これは神対応の神のようなものか)
お題のページを覗いてみたらどうも冬の乾燥肌対策のことらしい。
おやじの僕にはわからないはずですなぁ。。。。。
コスパとは?」「コスメとは?」。。。。
検索をして調べてみましたが、略語のようですね。
なるほど。。。。と、理解できたので、確かに僕も乾燥肌で脛に粉が吹くほど痒さに苦しんでいることがあるので書こうとしたが、女性たちがもちもち肌対策を語り合う中におやじの脛に粉が吹いているなどという話を入れると、女性たちが眉間にしわを寄せられるかと思いよしました。
コスメもコスパも略語ですしわからないですが、最近テレビを観ていても何のコマーシャルなのかがわからないときが度々あります。妻に「今のコマーシャル、何のコマーシャルなの」と聞いてなるほどと思います。それでも妻もわからないものがたくさんある。
こうして老人は置いてけ堀になっていくのでしょうか?
ウウウ・・・・・
イカン、イカン!!
コスパの良い神コスメを教えて!」のようなものも興味を持って調べてみることが大切なのか。。。。。?

【2019年】ツイッターつぶやき
嫌いな言葉に「長いものには巻かれろ」がある。
長いもの=力のある者
たしかに力のある人にくっついていれば得なことが多い。
しかしこれには自分を殺さねばならない場合が多い。
今の日本の政治や社会に対して不平不満はたくさんあるでしょう。
しかし不平不満ばかり言っていてもらちが明かないから
長いものには巻かれて生きていれば得だし楽であると
しかし長いものに巻かれていると自分を否定せざるを得ないのが苦しいから
長いものに巻かれながらそれを肯定して長いものに巻かれない人を攻撃すれば自己満足は得られる。暴力でもいじめでも何でもありとなる。
今の国民の多くがこんな状態ではないかな。
この長いものには巻かれるの対義語を調べていたら、
蟷螂の斧という言葉があった。
対義語としては弱い者でも強い者に立ち向かうということになるらしいが、
同時に蟷螂の斧は力の弱い者が強い相手に立ち向かっても負ける。そんなむなしさを言い表しているともいう。
まぁ、こうなると長いものには巻かれろの対義語とは言えないくなる。
しかしこのむなしさが諦めにつながり結局は「長いものには巻かれる」となってしまう。
たしかに弱い者は負けるのですが、かといって蟷螂の斧でも持たないと強い者はのさばり続ける。歴史を長いスタンスで見れば、強い者でも必ず敗れてきた。なぜかといえば、強い・弱いは相対的であり強い者に弱さが出れば弱い者は強くなる。強い者にも弱さがあるということを忘れてはいけない。そう思うならば蟷螂の斧もまんざらむなしいものではなくなる。
人の歴史はこんな蟷螂の斧のようなものが無数に繰り広げる舞台ったのです。

【2020年】ツイッターつぶやき
昨日書いた抗体・免疫・抵抗力そして分散の続きです。
そもそも役所や銀行などが土日や休日が休みになるというのが変なものです。わざわざ仕事を休んでいかなければならないんですからね。まだ専業主婦の奥さんでもいる夫婦ならどうにかできますが、今は共働きが当たり前になっています。もちろん独身者は困りますね。
土日休むということから平時にに人が集中して密ができます。もちろん通勤電車も込み合います。シフトを組んで土日や休日も営業すれば密も解消されるでしょうし、平日の出面が減れば働く人の密も避けられます。
社会全体がこのようなシフトを組むようになれば密を避けられますし経済効果もあるでしょう。
また出勤時間をずらしたり時短も有効でしょう。そして何よりも休暇を完全に消化することも必要です。
連休を分散できますし、すると旅行先でも観光地や歓楽街でも人の密が分散されるでしょう。
家族単位でこの家族は月曜日と火曜日が休みとか分散すればいいのです。すると学校なども土日に休む必要がなくなる。
こう書くと非現実的だという方もいるでしょうが、現実は上記したような分散が行われている仕事が多いのです。それによって社会は維持されています。

【2021年】ツイッターつぶやき
これまでもワクチン接種による副反応として心筋炎が言われていましたが、厚労相はやっと心筋炎を「重大な副反応」と認めたようです。
ただしコロナ感染での後遺症としても心筋炎があるため判断は難しくなるのかもしれません。
コロナで心筋炎の後遺症になるのもワクチンで心筋症になるのも悲劇ですが、「その頻度はワクチン接種後よりも高いことが分かっている。」とはいえ、コロナは自然の災いとしてのものですが、ワクチンは人工的な厄ですからね。
今後オミクロンが広がるかもしれませんが、ワクチンの効き目がどうなのかもはっきりしない中で3回目の接種がはじまりました。ワクチンの効き目が弱いならば、あるいは重症化しない新型のウイルスならば、無理な接種の方が危険性は大きいと言えるでしょう。

【2022年】ツイッターつぶやき
マイナンバー顔度を普及させようと政府はポイントをばらまいたり、健康法検証や車の免許証をマイナンバーにすると言いだして半強制的なやり方をしている。
一方ある程度普及する中、企業や行政で紛失や漏洩が起きている。
5年間で3万5千人分が報告をされているそうです。でも、これは明らかになった人数ですから実態はもっとたくさんあるのではないかと思います。
現在6割程度にマイナンバーも広がっているようですが、さらにさまざまなところでマイナンバーと暗証番号を使うようになればさらに多くの紛失や漏洩が発生するでしょう。紛失や漏洩というだけならまだよいですが、そこから犯罪に結びつくと被害は大きくなるでしょう。
最近ではコンビニで酒やたばこを買うための身分証明にも利用するという話も出ていますからマイナンバーは日常の生活の中に入りこんでいきます。
日本は高齢化していますから。今でも高齢者狙いの詐欺が後を絶たない状態ですから、すぐにマイナンバー詐欺も出てくるでしょう。
マイナンバーが生活上において必要だというものはほとんどありません。政府が紐付けするために必要になってしまうというだけですね。

【2023年】ツイッターつぶやき
アメリカでは、返品送料は企業が負担するのでしょうか?
この返品送料と変わらない値段の商品は返品なしで返金をするそうです。(ロイター
たしかに送料まで支払って、返品された商品は売ることはできないのですから、返金だけをする方が企業にとってはよいのかもしれませんね。
そういえば、ツイッターにフロリダの方だったか?一定の額以下の商品を万引きしても警察は捕まえないそうで、下手に捕まえれば逆に訴えられるとか。堂々と盗んで出ていく。
経済的損得で人の善悪に影響するような社会はよくありませんね。
返品なし返金も悪用を心配されているようですが、ブランクマンデーのセールで大量販売をしても返品が50%を超える社会というのも怖いですなぁ。
そういえば、日本でもフォーマルの洋服を買って、1度着ればいらなくなるので7日以内に返品というようなことがあるそうです。
資本主義的共産主義がくすぶっている。
 
【2024年】ツイッターつぶやき
(記事なし)