夕螺の30年日記帳

今までブログで20年日記帳を書いていました。30年日記帳を目指して長生きします。カテゴリー「しりとり俳句」やってます。一句いかがですか♪

2025年12月2日(火)「風景」

東京の街並みの風景が刻々と変化していますが、久ぶりに都心に出て行くと右も左もわからなくなる時があります。新宿や渋谷などは迷子になりますなぁ。

こうした都心の風景だけではなく、住み慣れた我が町も時々風景が変わることがある。細い道だがバスが通る道路を車で走ってきていつもの信号の交差点を右折するが、この交差点の角にある古い大きな家が取り壊されて空き地になりました。すると見慣れた交差点の風景がガラッと変わったように見えてしまいます。車で帰ってきて我が家に向かう交差点を右折するとき、風景が変わってしまったので一瞬オヤと思いここでよかったよなぁと。買い物などで出かけた帰りは大体ここを右折するのですぐに風景の変化にもなれるのですが、時々その道を反対方向から帰ってきて左折するときはまるで知らない交差点に来てしまったような気がする。こうした左折は月に数度しかないのでなかなか風景の変化に慣れない。左折するたびに少し緊張。。。。。。

そういえばこの空き地になった場所にどんな建物が建っていたのかも忘れている。

車に乗っていればそれなりに緊張して運転しているのですが、脳みそは見慣れた風景の中での経験の記憶に頼りながら活動しているんでしょ。ですから錯覚というものが起きやすいのでしょうね。

 

12月2日という日

【2025年】

東京の街並みの風景が刻々と変化していますが、久ぶりに都心に出て行くと右も左もわからなくなる時があります。新宿や渋谷などは迷子になりますなぁ。

こうした都心の風景だけではなく、住み慣れた我が町も時々風景が変わることがある。細い道だがバスが通る道路を車で走ってきていつもの信号の交差点を右折するが、この交差点の角にある古い大きな家が取り壊されて空き地になりました。すると見慣れた交差点の風景がガラッと変わったように見えてしまいます。車で帰ってきて我が家に向かう交差点を右折するとき、風景が変わってしまったので一瞬オヤと思いここでよかったよなぁと。買い物などで出かけた帰りは大体ここを右折するのですぐに風景の変化にもなれるのですが、時々その道を反対方向から帰ってきて左折するときはまるで知らない交差点に来てしまったような気がする。こうした左折は月に数度しかないのでなかなか風景の変化に慣れない。左折するたびに少し緊張。。。。。。

そういえばこの空き地になった場所にどんな建物が建っていたのかも忘れている。

車に乗っていればそれなりに緊張して運転しているのですが、脳みそは見慣れた風景の中での経験の記憶に頼りながら活動しているんでしょ。ですから錯覚というものが起きやすいのでしょうね。

 

≪過去の記事≫

【2003年】
晴れ。うれしいです。
洗濯物も日差しの中に揺れてうれしそう。。。。
昨夜はすごい風でした。やはり台風の影響でしょうか?娘が怖かったのかなかなか寝付けなかったようです。
僕は大きないびき・・・・(笑)
まだ海は荒れているようですね。
紅葉狩りと思っていましたが、つい時期を失ってしまったようです。
そういえば、都心に四谷というところがあるのですが、その駅前に教会があり、クリスマスイブに行くと暖かい光に包まれています。通りには銀杏並木があり、落ち葉を踏んでぶらぶらするとロマンチックです。
晩秋。。。。楽しまないとね。
そして冬は・・・・じっと我慢です(笑)

【2004年】
車で買い物に行きました。帰り道、4時少し前になったばかりだというのに西日がまぶしかったです。5時というともう真っ暗です。ほんと今の季節はいやだ。。。。
12月というとクリスマスが楽しみですが、25日といえば冬至が過ぎたあと。一番くらい季節が終わり少しづつ日が伸びてくる楽しみも出てきます。キリストの復活というのもあるそうですが、やはりこの冬至を過ぎて太陽が復活していくというものとの関連もあるのかもしれません。
一番暗いこの季節、街を色とりどりに飾るのもこの冬至が過ぎ去るまでを幾分かでも楽しもうという意味もあるのかもしれません。
キリスト教には関係のない僕でも、上のような意味ではクリスマスを迎える楽しさが増します。
正月は、本来旧暦で、春の気配を感じながら新たな命のめぐみを期待するものでしょう。しかし今は、やはり冬至が過ぎて太陽の復活という陽暦にちなんだものになりつつあるのかもしれません。
こんなことを考えながら早く冬至が過ぎないかなぁとお持っています。
あわただしいし金もかかるけどね。。。。(笑)

肩ごしの恋人」  唯川 恵  著
るり子は思う。
六本木や西麻布には足が向くが、新宿は苦手だと。なぜなら新宿は本音の街だから。自分というものをさらけ出さないとだめな街だから。
六本木などでは、女がちやほやされる。男に自分の魅力を見せ付ければ楽しい街である。しかし新宿は違う。新宿2丁目では男は振り向きもしない。ここでは男同士のゲイの街であり、女はただのひとりの人間としか見てもらえない。
るり子は、恋に結婚に生き、男は自分を幸せにすべき存在。それだけの美貌を持つ。萌は、素敵な女性ではあるが男に対して信用をもてない。結婚をはじめから望まないわけではないが、男との仲が結婚にまで進みそうになると引いてしまう。このようにお互いに性格のまったく違う二人の女だが、どこかお互いに寄り添うように生きてきた。
萌は、妻子ある男との微妙な関係の中にいる。るり子は、2度の離婚で慰謝料をふんだくりながらもまた3度目の離婚の危機にある。危なっかしい二人である。
そんな二人の中にかわいい男の子とも言うべき家出をした15歳の男が来る。別居を始めたるり子とこの高校生崇は萌の住まいに転がり込んだ。「修学旅行のように楽しい」生活がはじまり、この3人が新宿2丁目の世界に入っていき、本音の人間、女はただの一人の人間でしかないという世界に触れる。文ちゃんとリョウという二人のゲイと知り合う。
萌は、退職をして職を探す。離婚を決意したるり子も職を探すしかなくなる。同じ部屋に住む二人の女はお互いと支えながらその女の友情深めていく。
また大人の二人の女が少年を世話していると思い込んでいたが、崇はその純粋さを二人の女に見せつける。そこに少年から大人の男に変化する崇を見る。
るり子はゲイのリョウに好きだと告白をする。女を愛せないリョウという男に。。。。そしてつぶやく「好きだからそれでいい」
燃えとるり子と崇の「修学旅行のように楽しい」生活。ここに「好きだから一緒に生活をしているというものがある。萌とるり子の生活も女の友情という反感を持ちながらも好きだという自覚にある。もちろんるり子のリョウへの思いも。
人は家族関係の中に生活しているが、「好きだから」という基本を常に確認せねばならないのではないかと思う。基本は家族関係である。しかしこの作品は、この家族関係から離れた人同士の「好きだから」を純粋に表現しているのかもしれない。
燃えとるり子の新たな生活がはじまろうとしている。その生活がどのようなものかは読んでいただきたい。しかしこの二人が幸せになれるかは未知数である。
唯川さんは「あとがき」に「あっけらかんとしたもの」を書きたかったと書いているが、まさに読み終わったあとはなんともいえぬあっけらかんとした明るさのある作品である。
この文庫版での解説を江國香織さんが書いている。解説を書くにはある意味では最もふさわしいのではないか。
この「肩ごしの恋人」は、江國さんの「ホリーガーデン」でかかれた二人の女性の友人関係と、「きらきらひかる」で見せた青年の純粋さとゲイの男との関係の中から「好きだから一緒にいたい」という暖かさをひとつの作品にまとめたような気がするからである。
唯川さん、江國さんという二人の直木賞作家による表現の違いもおもしろいかもしれない。

【2005年】
朝のうち日が出ていたので布団を干したのですが、すぐに薄日となってしまい布団は退場。。。
今日からスポーツジムに行きはじめました。
まずは初日ですから面接があり、これからのメニューが決められました。
「こちらいらした目的は?」
中性脂肪を減らしたくて。。。。」
「そうですかぁ。。。。」
「はい」
「あとは?」
「ぎっくり腰の予防です」
「そうですかぁ。。。」
「はい」
メモをのぞいたら「体力アップ」
「・・・・?」
「とりあえずは有酸素運動を中心にやって行きましょう」
「はい」
てなぐあいで初日が始まりました。
面接では体脂肪率や筋肉量、水分量などが測定できる機械もやり、こちらは理想的なものでした。えっへん!体脂肪率17%
はじめはウォーキングマシーンをやり、こちらは気持ちよく汗を流せました。次は腰痛関係で専門のトレーナーに診てもらいました。
「体がゆがんでますねぇ。。。」「足の長さが左右でちがってしまっている」
「はぁ。。。。」
ストレッチでめでたく左右の足の長さが同じになりました。
「それでは次に様々なマシーンの使い方をご説明します」
「はい」
「それでは一つひとつのマシーンを10回づつやってみましょう」
「はい。。。」
すべて重さ設定は30キログラム。
(箸より重いものは持ったことがないのに。。。(笑))
一通りやったらぐったりしてしまった。さすがに重量挙げはやらされなかったけど。。。
「それでは最後に自転車漕ぎを。。。。」
「はい。。。」
みっちり2時間コースでしたぁ。。。。
色男金と力はなかりけり。。。足腰が立たんっ!。。。ううう・・・・

【2006年】
12月ですなァ。。。。。
年の暮れと言えば、この時期に庶民の意識が経済に反映します。企業はボーナスを当てにしたクリスマス商戦を繰り広げます。この意味において12月という年の暮れは、日本の経済状況を反映します。
イザナギ景気を超えた景気。。。しかし企業は自信をもてないでしょう。国も自信をもてないでしょう。個人消費という幽霊に悩まされるでしょう。長期的な景気の上昇に期待をもてない。。。ここで、個人消費の伸び悩みを問題とする。しかし庶民は無い袖は振れない。
12月2日の朝日新聞朝刊1面を見て今後の経済状況が分かる。
「5000億円規模の企業減税が想定されている。その財源は、07年からの所得税定率減税の全廃(約1.2兆円の増税)で賄われることになる。」
「『法人実効税率の10%程度の引き下げ』をすれば、4兆円規模の減税になる。その財源を他の税源で賄うとすると、消費税(現行5%)なら2%幅の引き上げが必要になる。」
「リストラ景気回復」が継続するのである。すなわち庶民生活を犠牲にした大企業優先の景気状況の継続である。
これは、国や大企業があえて毒饅頭を食うに等しい。
個人消費の伸び悩みを問題にしながら、景気の継続にはこの個人消費を抑えることしか出来ないのだから。競争はこの毒饅頭を企業が食わざるを得ない状況を作り出す。毒饅頭だから、一時は腹は膨れるが後に矛盾は噴出すだろう。更なる個人消費の落ち込みであり、好景気とされる中でのデフレ脱却は遠のく。
仮に大企業を優遇するにしても、その大企業が何をしてくれるのか?
派遣社員やバイト・パートの正社員化は進まないようである。。。
こう見ると、名目上の景気回復では国民生活の向上は当分の間望めない。

【2007年】
日記を少しサボっている間に12月に入ってしまいました。サボっていたというより、少し忙しくて夕食後は眠くて動けませんでした。
東京は、今が一番紅葉がきれいかな。。。。
公園は鮮やかな秋の色!
ぼうっと立ち止まって眺めてしまいました。夜の公園。。。街灯にライトアップされた紅葉。。。。きれいです。
イチョウの葉もだいぶ黄葉してきました。
イチョウが散りはじめて僕の日記も冬です。クリスマス・冬至の頃。
冬至を過ぎて寒さは厳しいけど、これから日が延びるといううれしさ。冬の嫌いな僕としてはこのうれしさが支えです(笑)
今夜は豚肉と厚揚げの味噌炒めと刺身。

【2008年】
(記事なし)

【2009年】
(記事なし)

【2010年】ツイッターつぶやき
12月に入りました

毎年この時期になると

マリリスの葉などが枯れるのですが

今年はまだ青々しています

東京の気温は20度とか。。。。

温かい日差しが気持ちがいいです

予報は午後から夕方に雨?

胡蝶蘭の花の茎がだいぶ伸びました

デンドロビュームも分厚い葉っぱの花の茎も

シクラメンはまだ芽がでません

部屋に入れたほうがよいのか。。。。。。

春一番に咲く花々。。。。

楽しみです

【2011年】ツイッターつぶやき
11月29日に『《第95回紀伊國屋サザンセミナー》 文芸誌「モンキービジネス」最終号刊行イベント 「猿の一休み」』というイベントに行ってきました。
「モンキービジネス」という季刊誌は読んだことがなかったのですが、この季刊誌が15号をもって休刊するということでのイベントでした。川上さんは創刊からずっと短編を連載されておりこのイベントにも参加をするというので喜び勇んで新宿まで行ってきました。
新宿の紀伊国屋と言えば「あの」通いなれた紀伊国屋と思い出かけたのですが、7階にそのような会場がない。。。。店員の方に訊いたら代々木駅近くの紀伊国屋だと。新しくできたのですね。。。。急いで約一駅歩いていきました。どうにか間に合ったので入口で一服して当日券で入りました。入ってみると本が並んでおり川上さんの「神様」のサイン入りの本が!最後の1冊。手に取ろうとしたら若い男がさっととってしまった。入り口でのんびりと煙草など吸わなければよかった。
当日券でしたが端っこの方の前の席が空いていてラッキーでした。川上さんのお顔をよく見ることができました。
お話の中に川上さんが「空気を読まない」で書くようにしているというようなお話がありました。作家の作品というものを通して作家と読者が理解しあえるという事はない。15人ほどの人しか理解できなくてもいいのではないかと。
これは作家が読者を引き離すような言葉ではなくて、書いた人間と読んだ人間との距離は埋めることができないということでしょう。これは作家と読者とはその生活の場やこれまでの人生が違うわけでして書いた方の思いを作品という形にするのですが、その作品は本になってしまえば読者のもので読者の人生観などで読むわけです。ですから作者の思いがそのままに伝わるということはないのです。しかしこの伝わらない中に作者と読者が切り離されるかと言えばそうではなくて、やはり作品というものを通じてのつながりはあるわけです。その中に読者は間違った読み方をしてしまうというものはほとんどなくなります。「感想」なのです。そのつながりは。感想の中に間違いというものはありません。作品の中に見つけたものがそれぞれの読者が違うだけなのです。この意味において一つの作品は作者がこう読めということではなくて、読者それぞれの感想の中に生きているわけです。ですから作者と読者が一致しないというのはその作品に普遍性が出てくるのです。この普遍性が広ければ広いほどすぐれた作品になるわけです。
15人ほどというのは、川上弘美という人間との付き合いがあるかたがより川上弘美的に作品を理解できるということではないでしょうか?または生き方や人生が似ているとかもあるかもしれません。
こうしてみると、「空気を読まない」というのはすごく大切なことになります。
読者を感動させるには今はこういう作品をとか、ましてや売れる作品をとかを考えないで心のままに描いた作品をより普遍性のあるものに描くことが大切なだけです。
川上さんの作品がじんわりと心の中にしみのように広がっていく感覚はここから来ているのではないでしょうか?読者はどんな偉ぶった教訓も受けずに自分を見ながら読み進められる。そしてそこに自分だけの感想を持つことができる。これもまた文学の一つの形でしょう。

【2012年】ツイッターつぶやき
まずはツイッターから。。。。
「先進国が自国の通貨安競争に走るって異常なことでしょう。。。。。競争ですからそれは人的な政策です。為替や株などなど、経済実態に添わないで経済は人の手でどうにでもなるというある意味新自由主義の自由とは何かが現れているのでしょうか。一方では国民生活はそのつくられた市場に任せると。」
自然水準というのは結局は「そのつくられた市場に任せると」ということによる長期的な目で見た結果でしょう。失業率を自然失業率として決定するのは何も自然なことではなくて人的な経済を動かそうとする政策が失業率を高めたり低めたりするわけですからその結果が自然と名付けられて自然失業率と呼ばれるだけなわけです。
ですから自然水準からの国民生活は人的な上部構造である政策などから規定をされてその中から格差社会などが生まれる。そしてこれが下部構造の経済自体の矛盾を深める。結果として自由でない自由主義が現れる。
下部構造の経済からその矛盾を解決する上部構造である政策を決定しなければならないのだが、企業や富裕層がその利益目的に政策を決めればそれは逆さまな論理となる。

【2013年】ツイッターつぶやき
先進国はひとつのピークを終えて瓦解し始めていると思いませんか?瓦解というのははじめから一挙に崩れ始めるのではなくて少しづつ割れ目や裂け目が広がっていき気づいたときは一挙に崩れてしまうこと。
もちろんその瓦解するものの土台は経済です。
その経済は、人の生活が発展するのに必要な生産性の向上が逆に経済に日々や割れ目を作っていく。今や物づくりもロボットのようにコンピューターと精密機械が結びついた中にあります。人の労働力をそれほど必要としない中に大量の商品が生産されます。それはその商品の価値を低下させて市場においては価格低下として現れます。以前労働力をより多く必要とした商品がロボットによって生産される。「同じ商品なのになぜ価格が下がるのだ!」とパニックになる。こてはその商品の使用価値からしか価値というものを見ないことからのパニックです。より少ない労働力しか必要としなくなったその同じ商品は使用価値は同じでも価値が低下しているんです。その商品の品質や使い勝手など使用価値を高めても価値自体は定価をしているんです。
その商品を生産する産業内の企業はより多くの商品量を市場で売り切ってしまわなければ依然と同じ利潤を維持できないわけです。もちろん生産性の向上はこの商品量をより多くする働きがありますから産業内では過剰生産となります。一方のその商品の諸費は限界がありますし、その限界は労働者の懐にある貨幣量によって決まります。潜在的な消費力はもちろんあり、労働者はその商品をほしいと思っている。しかし買えなければ消費はできない。また、グローバル化が進んで海外の市場と低賃金労働を求めていきますが、これも生産性の向上の一部であり商品価値を下げていきますしその相手国の消費はより低賃金の状態ですから消費の限界を大きくします。
ここに企業にとっては過剰生産、消費者にとって果てに入れられない状態が形作られます。
ここから瓦解が始まっている。企業は利潤を維持するために労働力をもコストとして取り扱い低賃金化をし始める。それもまたその企業にとっては生産性の向上とみなすようになる。当然消費の限界を高めます。
瓦解は今問題となっている商品の食材偽装にも見られるような品質の低下としても現れ始め、そのことによる利潤確保が始まる。原発もそうでしょう。今は原発を必要としない程度に電力漁は存在をしてそれを原発なしでもより安定的に供給できる道があるにもかかわらず原発の再稼動が言われる。この矛盾もやはり企業利益確保のための危険性の高い人類の存亡にかかわるものでも企業の利潤確保のために行われる。あるいは商品自体の質の低下はないものの自動車のようによりやすい軽自動車に需要が出てくる。
これも瓦解の始まりでしょう。
国家は前面に出てきてこの瓦解の中に企業を守るためにすべての力と金を注ぐ。
これもまた瓦解の始まりです。
相撲協会や柔道連盟そして最近では日展画問題となりましたが、こういった組織事態も瓦解を始める。
マスコミなどはどうでしょうか。。。。
国家組織をはじめとした企業や多くの組織全体がおかしくなってくる。今の自民党に見る保守層もおかしくなってくる。
瓦解が目に見えてくる。。。。。そしてあらゆる分野でこの瓦解に気づき始めた国民が増えてきているのではないでしょうか?
生産性の向上は、より安くより大量の商品を社会に浸透させます。
これは人の歴史においては画期的な発展の条件なのです。今のような社会での生産性の向上は社会を瓦解させる条件であるのですが、本来は社会をより発展させるための条件なのです。この条件を生かすような社会を作ることが発展といえます。
その発展のために何が必要なのか。。。。
上にも書いたようなあらゆる分野で今の社会の瓦解に気づき始めた人々が広く結集をして考えていく必要が出てきたということです。それはやがて国民運動となっていくでしょう。そしてその中に民主主義や平等そして自由の問題などの基本的な哲学も発展させ変えていくでしょう。瓦解に振り回されない進歩的な人々。。。。。

【2014年】ツイッターつぶやき
以下、2013年12月に書いたものの再掲載です。

先進国はひとつのピークを終えて瓦解し始めていると思いませんか?瓦解というのははじめから一挙に崩れ始めるのではなくて少しづつ割れ目や裂け目が広がっていき気づいたときは一挙に崩れてしまうこと。
もちろんその瓦解するものの土台は経済です。
その経済は、人の生活が発展するのに必要な生産性の向上が逆に経済に日々や割れ目を作っていく。今や物づくりもロボットのようにコンピューターと精密機械が結びついた中にあります。人の労働力をそれほど必要としない中に大量の商品が生産されます。それはその商品の価値を低下させて市場においては価格低下として現れます。以前労働力をより多く必要とした商品がロボットによって生産される。「同じ商品なのになぜ価格が下がるのだ!」とパニックになる。こてはその商品の使用価値からしか価値というものを見ないことからのパニックです。より少ない労働力しか必要としなくなったその同じ商品は使用価値は同じでも価値が低下しているんです。その商品の品質や使い勝手など使用価値を高めても価値自体は定価低下をしているんです。
その商品を生産する産業内の企業はより多くの商品量を市場で売り切ってしまわなければ依然と同じ利潤を維持できないわけです。もちろん生産性の向上はこの商品量をより多くする働きがありますから産業内では過剰生産となります。一方のその商品の諸費は限界がありますし、その限界は労働者の懐にある貨幣量によって決まります。潜在的な消費力はもちろんあり、労働者はその商品をほしいと思っている。しかし買えなければ消費はできない。また、グローバル化が進んで海外の市場と低賃金労働を求めていきますが、これも生産性の向上の一部であり商品価値を下げていきますしその相手国の消費はより低賃金の状態ですから消費の限界を大きくします。
ここに企業にとっては過剰生産、消費者にとって果てに入れられない状態が形作られます。
ここから瓦解が始まっている。企業は利潤を維持するために労働力をもコストとして取り扱い低賃金化をし始める。それもまたその企業にとっては生産性の向上とみなすようになる。当然消費の限界を高めます。
瓦解は今問題となっている商品の食材偽装にも見られるような品質の低下としても現れ始め、そのことによる利潤確保が始まる。原発もそうでしょう。今は原発を必要としない程度に電力漁は存在をしてそれを原発なしでもより安定的に供給できる道があるにもかかわらず原発の再稼動が言われる。この矛盾もやはり企業利益確保のための危険性の高い人類の存亡にかかわるものでも企業の利潤確保のために行われる。あるいは商品自体の質の低下はないものの自動車のようによりやすい軽自動車に需要が出てくる。
これも瓦解の始まりでしょう。
国家は前面に出てきてこの瓦解の中に企業を守るためにすべての力と金を注ぐ。
これもまた瓦解の始まりです。
相撲協会や柔道連盟そして最近では日展が問題となりましたが、こういった組織事態も瓦解を始める。
マスコミなどはどうでしょうか。。。。
国家組織をはじめとした企業や多くの組織全体がおかしくなってくる。今の自民党に見る保守層もおかしくなってくる。
瓦解が目に見えてくる。。。。。そしてあらゆる分野でこの瓦解に気づき始めた国民が増えてきているのではないでしょうか?
生産性の向上は、より安くより大量の商品を社会に浸透させます。
これは人の歴史においては画期的な発展の条件なのです。今のような社会での生産性の向上は社会を瓦解させる条件であるのですが、本来は社会をより発展させるための条件なのです。この条件を生かすような社会を作ることが発展といえます。
その発展のために何が必要なのか。。。。
上にも書いたようなあらゆる分野で今の社会の瓦解に気づき始めた人々が広く結集をして考えていく必要が出てきたということです。それはやがて国民運動となっていくでしょう。そしてその中に民主主義や平等そして自由の問題などの基本的な哲学も発展させ変えていくでしょう。瓦解に振り回されない進歩的な人々。。。。。

(つづきです)ツイッターから
生産性の向上(賃下げというものではない)は、少ない労働力でより多くの商品を生産するからその1つあたりの商品は価値低下を起こす。しかし生産性の向上からの派生として、もう一つの面として優れた商品は使用価値を高める。商品の価値は下がるが一時的には使用価値からの価格は上昇
パソコンや電化製品など性能がアップしたり付加価値をつけて価格の維持をするといったものがある。これが使用価値からの価格の維持であり、時には価格は上昇する。
しかしその使用価値からの価格の維持や上昇はその商品を生産する産業全体で平均化されればその新たな使用価値は当たり前となりすぐにその商品の価値に価格は引き下げられる傾向を示す。商品の使用価値からの価格はその商品の価値が基本となる。
資本主義は競争としてこの生産性の向上により安くて大量の商品を生産して1つあたりの価値を下げていき、より良い商品という使用価値を高度にする。これが資本主義の優れたところであるはずです。この中で消費者物価は下がり続ける傾向を示す。これが資本主義経済の発展でしょう。
商品の価値を低下させてよりすぐれた使用価値を持つ商品は、国民生活を豊かにするでしょう。また生産に必要なより少ない労働力量は国民の労働時間を削減してこれもまた国民を豊かにするでしょう。資本主義経済はこれを目指して発展をしていくのです。経済はこういう社会にしろという。
国民はこういった社会を望んでいますから素直に従えます。しかし同時に資本主義経済はこれでは困るという自己矛盾を抱えています。これでは困るという人がいるという事です。
商品の価値低下により物価が下がることをデフレと呼び、利益が少なくなることからその利益を維持するために賃下げや失業を作り出します。そのために経済システムは破壊されてデフレは単なる物価の下落ではなくてデフレ不況となります。
ここで利益を得た人々はその金を生活のための消費ではそうは使いません。その金は子を産むものでなければなりません。ここに貨幣という富の集中(資本の集中化)とだぶつきが起きます。だぶつきは不況ですから当然です。たとえば新たな設備投資などはできませんから。
不況は子を産まない金の集積です。だぶつきです。この集積やだぶつきが起こらないようにするのが国民生活の豊かさのために流れなければならないという事を示しているのです。
株や土地といった価値のない(土地は人の労働でつくられたものではないから)ところでの売買益に頼る。絵画の値段を引き上げての売買益。すべて人の労働からつくられる富とかけ離れた架空の富を生産する。銀行もそのためにろくな担保もないところに金を貸し出す。
いわば人の労働というものから生まれる価値から切り離された子を産むというだけの使用価値だらけのものに集積しただぶついた金は流れていく。バブルです。。。。。当然はじけるでしょう。そこに待ち受けるのは恐慌の危険性です。
こういったバカげたものはもうなくして富裕層の皆さんも我慢しなくてはならない。結局国家が全体的に縮小していけば富裕層の中での没落がはじまる。低賃金でこき使ってセレブな生活を得ることは我慢しましょう。我慢してもらえるようなシステムを作り上げるのが社会民主主義経済です

【2015年】
(記事なし)

【2016年】ツイッターつぶやき
小池都知事が電柱をなくして地中に電線を埋めることに力を注ぐようですね。
小池都知事がどのような考え方でこれを行おうとしているのかはわかりませんが、いろいろな意味でこの政策は必要だと思います。
都心に行くと電線がありませんね。
しかし東京でもほとんどのところに電柱や高圧線鉄塔が立っています。
オリンピックに向けて景観からも電柱をなくそうとすることもよいのですが、電柱の問題はただ景観だけの問題ではありません。
歩道もない車の交通量が多い道路に電柱が立っていますが、細い道に歩行者や自転車車いすの方が通っています。車で底を通るたびに電信バイらがあるために歩行者や自転車が道路の真ん中に飛び出てきます。危ないと思います。逆にそこを歩いていると車が邪魔で一方通行にすればいいなどとも逆の立場で思ったりもします。危ないので行政は歩道にするためにオレンジと黒にペイントした鉄の柵を立てます。しかしその策で区切られたエセ歩道の真ん中に電信柱があるときがあります。車いすは通れませんし、人や自転車が飛び出てくるのも変わりありません。
無電柱化は都民の安全にもかかわる重要な政策です。
しかしこの無電柱化と言う政策はもっと政治全般の哲学とならなければなりません。
電柱には電気や電話の回線がついています。無電柱化というのはこの電線が邪魔だから電気も電話もなくせという政策ではない。こんなわかりきったことを本気で批判材料として言う人もいますが。
電線は地下に埋めれば電気も電話を使えるのです。
こういった論理が政治全般に必要だと思うのです。
オリンピックも僕が子供のころに東京で開催されました。また2度目のオリンピックを見ることができること自体に反対はしません。しかし現在の開催方法を見れば当初の予算よりもバカ高い金を使おうとしています。一方で国民生活は公助を捨てて自助共助でとなっています。社会保障が削られていく中の一方でとてつもない金を使うことに矛盾があると思うのです。ならば反対なのです。オリンピックという電線は良いが、国民生活を犠牲にしている電信柱は必要ないし邪魔なのです。
築地市場移転問題も同じでしょう。
築地市場という老朽化したものを改善しなければいけないことに反対はない。しかし安全面でも設備的欠陥でも行政のいい加減さにおいて反対なのです。市場の改善という電線は必要なのですが、先に書いた豊洲市場の矛盾という電信柱は邪魔なのです。
このような都政だけではない。
国政においてもたくさんの必要とする電線は必あるのですが、あらゆるところで国民の安心・安全そして安定した生活を邪魔する施策という電信柱が乱立しているのです。
この電線と電信柱の関係の思考からすると、どうも自民党という政党がこの電信柱になりつつあると言ことが見えてきました。
経済も政治も外交もその限界が見えてきていると思います。
どうも国民の犠牲において経済も政治も変な方向に向かっています。
野党4党の共闘は、この自民党とその政策という電信柱をなくそうとすることでしょう。
小池都知事もこの電信柱とぶつかりそうです。
カジノ法案の強行採決では公明党も自主判断を行いこの電信柱と小さなぶつかりがありました。自民党はもう公明党なしでも維新との共闘で強行採決できるというおごりを示しました。
改憲はこの路線で進むかもしれません。
小池都知事の思想信条はいろいろと報道されていますが、もし小池新党ができて電信柱をなくそうとするならば野党4党と共闘できますし、公明党もこのまま与党で電信柱に埋没するよりも野党4党と共闘すべきでしょう。
ここを国民はしっかりとみていかなければならない。
電信柱をなくした後電線をどのように国民の安全安心そして生活の安定に役立つように処理をするかを野党共闘は真摯に話し合うべきでしょう。

【2017年】ツイッターつぶやき
違法性が疑われる補助金を受けた企業からの献金。(朝日)
企業献金は昔からその矛盾が言われてきて問題が起きたときに法改正もされてきたはずですが、今でも法の抜け穴というのか例外が認められている。
企業献金を廃止しろというと、昔はよくならば労働組合からの献金も禁止しなければと言われていた。しかし、企業は営利目的の団体でその利益からの献金労働組合はエリ目的での金でではない。
企業の活動には政治の影響力が強いわけですが、この関係において献金をするという事自体がおかしなわけです。ましてや補助金を受けた企業が政治献金をと言えばなおさら政治との癒着があるわけですし、補助金は国民の税でしょう。
企業献金は廃止しなければいけませんね。
そうしないと抜け穴があり続けて違法性は必ず出てくるでしょう。

【2018年】ツイッターつぶやき
先日書いた「値上げすれば解決するという発想」の関連です。
フランスで燃料税増税に対するデモが拡大化し、一部が暴徒化している。
燃料税をなぜ増税げするか、CO2削減という環境政策による。
地球環境については国際的な取り組みとして広がっている。各国はCO2削減にも積極的になっている。ここからフランスが削減の取り組みを行うことは評価できるでしょう。しかしヨーロッパにおける電気自動車への取り組みとリンクするならばだれの利益となるか?が問われるでしょう。
CO2削減のために燃料税増税を行うというのは、先の「値上げすれば解決できるという発想」でも触れたが矛盾が発生する。燃料税を上げれば確かに消費は減ってCO2削減にもつながるでしょう。しかしどの国民の階層がこの削減で我慢をさせられるか?ここが大切です。もちろん低所得層が苦しみ、その苦しみの中からCO2は削減される。これは大きな矛盾です。
燃料税の増税がされれば、ガソリンや灯油が値上げされてそれは様々な物品の値上げに波及するでしょう。するとこの部分でも一番困るのは低所得層です。。
混雑するレストランの混雑緩和を値上げすれば解消されるという発想(上記リンクページ参照)と同じですね。低所得者が来なくなればレストランはすいて高所得者が利用しやすくなる。。。。
燃料税が増税されても富裕層の消費(CO2発生量)は変わらないでしょう。
禁煙を促すにはたばこ増税を(低所得者は禁煙せざるを得ない)!といったものがずっと受け入れられてきましたが、この方法があらゆる面で社会に表れているのではないでしょうか?

【2019年】ツイッターつぶやき
ノースポールの花が1輪咲きました。
プランタに9月ごろ蒔いた花の種が発芽をしてやっと花屋さんで売っているぐらいの苗の大きさになってきました。
プランタに5種類の花の種をまいてうまく育てばミニお花畑になります。
あるいはプランタに寄せ植えをしたような感じになるかもしれません。
ノースポールはだいぶ大きくなるので他の花を押しつぶしてしまわないか心配ですが、どうにか平和的に育ってほしいです。
サルビアキンセンカアリッサムサクラソウ。。。。。
多分こんな花が咲くだろうと予想しているのですが、まだわかりません。
そういえば寒咲きの菜の花の芽が大きくなってきました。
こちらも楽しみです。
3月ぐらいになるとにぎやかになると思います。

【2020年】ツイッターつぶやき
風邪でもインフルエンザでも、同じ生活をしていても感染する人もいれば感染しない人もいる。コロナで意識的に感染防止をしている中でインフルエンザの感染者が少ないとも言われている。
結局感染する条件があってもウィルスに強い免疫を持つことと感染防止がセットにならなければならないということで、これはコロナにも言えることなんでしょうね。
コロナに感染した人は抗体というのができるそうで、それを外部から作り出すのがワクチンかもしれませんが、しかし感染防止を行うことを並行して行わなければコロナもおさまらないでしょう。
抗体と免疫とはどう違うんでしょ。免疫というのは体の抵抗力でしょうか?だからコロナにしても持病を持つ方が抵抗力がなくなり感染しやすくなる。
一時集団免疫というのをよく耳にしました。感染防止も何もしないでいてもコロナに感染すれば抗体ができて感染は収まるというものだったと思います。これは死ぬ人が死ねばコロナは収まるという論理でしょうから破綻をします。そこでワクチンが出てくるのですが、これもインフルエンザのワクチンを見ればそうは期待できないでしょう。
コロナもインフルエンザの様に繰り返し繰り返し発生するのでしょうか。でも季節性のないコロナはずっと感染が続きます。ワクチンも有効期限があるわけで年に2,3回接種でしょうか?
厄介ですね。
結局は感染防止をしながら免疫を高めて抵抗力を作るしかないのかも入れません。
免疫力とか抵抗力というのは何となく非科学的な面があるのかもしれませんから何をしたら良いのかはわかりません。結局日常生活の質なんでしょう。
煙草が悪いとか酒が悪いとかというものではなくて普通の衣食住の安定。

【2021年】ツイッターつぶやき
新型ウイルスオミクロンが世界的にも感染を広げているようです。
日本でも2名ですかぁ?感染者が見つかっています。
水際対策も入国できないようにしましたが帰国する日本人や日本で生活している外国人の入国をどうにかしなくてはいけないので政府も方針を変えたようです。
しかし入国者が出るわけですから検疫体制を十分行わないとだめですね。
しかし水際対策はこれまでほとんど失敗をしてきましたので、やはりある程度の国内感染は避けられないかもしれません。もちろん水際対策が無駄だということではなくより感染者の入国を避けること自体は大切です。
国内の感染者をより少なくしながら感染拡大をどう防ぐか。
今までと同じように検査も少なく隔離(入院)もままならないならば第六波は確実ですね。

【2022年】ツイッターつぶやき
去年と今年は2年続けて木枯らし1号が吹かなかったとテレビだったかラジオの声から聞こえてきた。
木枯らし1号というもの自体これといった決まった定義がないようで、晩秋から初冬に吹く秒速8メートルの北風といった定義らしい。ですから木枯らし1号がなかったというのは初冬になかったということなんでしょう。
木枯らしというぐらいだから、たしかに木々の葉が落ちるまでに強い北風はなかった。
でも、だいぶ東京も寒くなりましたからそのうち強い北風は吹くでしょうから、これが木枯らし1号といってもいいのかな?関東の空っ風。。。。。嫌ですなぁ。
温暖化で気温が高くなっていますから季節も少しずれてきていますね。
そういえば、春一番という風もありますね。
この春一番という風も苦手で強い風に胃が痛くなります。
木枯らし1号も眉をひそめてしまう。

【2023年】ツイッターつぶやき
終末週末円高になりました。
どうもアメリカの金利下げがあるということからの円高だったのか?
しかし147円前半から、また148円前半に円安となりました。
アメリカの株価は上昇。日本の株価は上昇していましたが今は横ばい。
アメリカの金利下げが本格的になればある程度円高は進むでしょうか、以前のように80円台に戻ることはあるのでしょうか。アメリカの金利と同時に日本経済が立ち直らなければ円買いも進まないでしょう。
金融資本主義ですが、基本は物やサービスを作り出す経済ですからなぁ。。。。

 

【2024年】ツイッターつぶやき
今年の冬、初めての鍋でした。
暖かい日がずっと続いていましたので鍋を食いたいという気も起きませんでしたが、少しは寒さを感じ始めたのでスーパーをぶらぶらしていたらキムチ鍋のスープを手に取ってしまった。
このスープはわが家の定番。。。。。。。
鍋も完食。〆のリゾットも完食。。。。。
リゾットは、残ったスープにご飯を入れ、その上のしゃぶしゃぶ用の薄い餅、スライストマト、とろけるチーズをのせてひと煮たち。

 

2025年12月1日(月)「金は天下の回り物」

金は天下の回り物。

金を使ってもまた金は巡り巡って戻ってくる。というような意味でしょうか?

現実は貧富の差が拡大していますからそうは簡単に金は戻ってはこないのが今の社会です。そしてだんだんと貧困は深く広がっているのが現状でしょう。

だからこそ今の日本は経済が好転をしなくなっているとみることができる。

GDPも金が社会の中で回転をしないとそうは上がらない。

例えば、極端ですが、100万円の資本で商売を始めた。そして年の利益は10万円とすると、100万円の資本は1回転をして利益は10万円となりますが、仮に2回転したらどうでしょう。半として1回転をして10万円の利益を手に入れ1年間では20万円。資本は2回転をしています。

しかし2回転をするには買い手側の収入も2回転するにあたる収入がなければならない。日本経済が一つの企業として2回転するには消費者である人口構成が一番多い労働者の収入を2回転に足るものとしなければならない。企業と労働者間で金は天下の回り物として循環をし開ければならない。こうしないと経済は発展をしなくなる。

ところが今の日本は、労働者の実質賃金は2回転に足るどころは1回転にも満たないように実質賃金はマイナスとなっている。一方企業利益は毎年高いパーセンテージで増加を続けている。ですから個人消費は伸びないでGDPもマイナスとなる。

そこで政府は、国債を発行して経済政策だとして社会に金の量を増加させる。しかしこの増加した金は金融や企業利益に吸い込まれる。国民へのバラマキも1回転して企業に吸い込まれる。ますます企業だけが肥え太るばかりで金は天下の回り物というものから外れていく。

7-9月期の企業利益は大きく増加をした。しかし同月のGDPはマイナスとなっている。

 

同じ一日 2025年冬

2025年 冬

 

★12月 1日

初めてブックマークのコメントをいただいたのですが、ブックマークなるものの機能のを把握しておらず返信できませんでしたことをお詫びいたします。

所用で出かけたのでワンコインの塩サバ弁当を昼飯に買おうと思ったのですが、1個しか残っていない。なぜだろうと思い訊いてみたら全部予約でなくなったそうです。うまくて安い弁当ですから予約もわかりますが、でも予約できること自体がどうなんでしょ。個数に限定があるのに。。。。。ちょっとむかつきながら帰ってきました。

★11月29日

最近テレビコマーシャルを見ていていきなり驚いた。

ビールなどの酒のコマーシャルは女性芸能人ばかりがうまそうに飲んで入りものが多くなり、化粧品のようなコマーシャルには男性芸能人ばかりが多くなっている。

今までぼうっと観ていて何の違和感も感じずに見ていたけど、昨夜急に驚いた。

酒も化粧品もその販路を広げようとしてのことなのか、それとも売れ筋が変わってきたのでコマーシャルを作ったのか。いろいろと考えながら床に入った。

★11月27日

去年は、多忙と体調不良のため2カ月ほどブログ記事も書か余裕がなく過ごしました。歳を重ねていくといろいろと体にも変調が出ますなぁ。

昨日からフライパン返しが行方不明です。

フライパン返しというものは大体置く場所が決まっているはずなのですが、キッチンの引き出しなどを探しても出てこない。まだ十分使えるものですから捨てることはあり得ない。今朝も探したのですが出てきませんでした。

不思議ですなぁ。。。。。。

こういう不思議なことも歳を重ねるにつれて多くなってきています。

フライパン返しもそのうちとんでもないところから出てくるのかもしれない。。。。。。

★11月25日

胃カメラをやって来ました。

カメラの管は鼻から入れるというので、経験者に訊いてみると口からよりは楽だよと。

しかし・・・・

鼻から管を入れるにしても前段の準備としていろいろありまして、その前段の処置が案外きつい。。。。。。

先週の大腸カメラも含めやらなければならない状態でなければやらないほうがいいですなぁ。

いろいろな健康診断がありますが、やるやらないはよく考えたほうがいいかも。

もちろん大きな病気が見つかるかもしれないのですが、、、、

★11月24日

昨日千葉県の養老温泉のほうへ紅葉を見に行きましたが、近くの道の駅に立ち寄ったら、まだ柔らかいのし餅がありました。

美味しそうなので買ってきました。

テーブルの上のその餅を見ていたら、急に雑煮が食いたくなり今日の昼飯は雑煮。

鶏肉と大根ニンジンの汁に焼いた餅を入れて、それを器へ。

トッピングはかまぼことカボスのスライス。ほんとは柚子の皮を入れたかったのですが、まだ時期的にスーパーにはありませんでした。

粘りが強くかたい餅でおいしかったです。

★11月22日

焼きカレー

昨夜はカレーでした。ちょっと作りすぎて1日寝かせたカレーに。うまいんですよね♪

でもちょっと一工夫。

グラタン皿にご飯を入れ卵を落とし、残り物のカレーをたっぷり乗せとろけるチーズを!

これをオーブントースターで焼いています。

さてどんなお味か?

お楽しみ。。。。。。

★11月21日

東京上野公園 西郷さん


★11月18日

「11月18日という日」の記事が抜けていました。19日の記事になっていたのでおやと思ったので気づきましたが。。。。

慌てて旧ブログのgooブログに飛んでいき18日の記事を拾ってきました。

gooブログも今日11時で完全にサービス終了となります。

終了1時間前、滑り込みで18日の記事を拾えてラッキーでした。焦った。

gooブログさん、長い間ありがとうございました。


★11月16日

昨夜はキムチ鍋にしました。今年は広島産牡蠣が不漁だそうで、スーパーには牡蠣が並んでいませんでした。代わりと言っては全くの別物なのですが、冷凍餃子を入れたりいつもの年のキムチ鍋とは少し違いのある鍋でした。

スープと残りの具材が残りましたので、今日の昼食はそれを使ったリゾット風おじやに。

煮たてたスープにご飯を入れてトマトを乗せ再度煮立てます。ぐつぐつ煮えたらとろけるチーズを入れて火を止め蓋をして蒸らします。

仕上げはオリーブオイルをさっとかけて出来上がり。

★11月12日

トマトがびっくりするほど高いですなぁ。

小さいトマトが6個ぐらい入っているものが700円ぐらい。

一度手に取ったのですが、丁寧に戻しました。

寒くなりましたなぁ

寝ているときに寒くて目が覚めてしまいました。長そでの下着を出してパジャマの下に着こみました。

★11月9日

炬燵を出しました。

これから夕螺家は5月連休前までの6か月間の炬燵生活に入ります。

昨日昼寝をしたら寒かったですが、これで暖かに昼寝ができます。

うれしい。。。。。。

冬眠生活……アハハハ

★11月7日

立冬

そろそろ炬燵を出そうか迷っています。朝晩は寒いのでダウンを出しました。

ブログも冬支度。

いくつかのカテゴリーは季節によりページが変わっていきますので立冬など季節の始まりは案外忙しい。

ということで、この同じ一日も今日から冬のページとなります。

 

12月1日という日

【2025年】

金は天下の回り物。

金を使ってもまた金は巡り巡って戻ってくる。というような意味でしょうか?

現実は貧富の差が拡大していますからそうは簡単に金は戻ってはこないのが今の社会です。そしてだんだんと貧困は深く広がっているのが現状でしょう。

だからこそ今の日本は経済が好転をしなくなっているとみることができる。

GDPも金が社会の中で回転をしないとそうは上がらない。

例えば、極端ですが、100万円の資本で商売を始めた。そして年の利益は10万円とすると、100万円の資本は1回転をして利益は10万円となりますが、仮に2回転したらどうでしょう。半として1回転をして10万円の利益を手に入れ1年間では20万円。資本は2回転をしています。

しかし2回転をするには買い手側の収入も2回転するにあたる収入がなければならない。日本経済が一つの企業として2回転するには消費者である人口構成が一番多い労働者の収入を2回転に足るものとしなければならない。企業と労働者間で金は天下の回り物として循環をし開ければならない。こうしないと経済は発展をしなくなる。

ところが今の日本は、労働者の実質賃金は2回転に足るどころは1回転にも満たないように実質賃金はマイナスとなっている。一方企業利益は毎年高いパーセンテージで増加を続けている。ですから個人消費は伸びないでGDPもマイナスとなる。

そこで政府は、国債を発行して経済政策だとして社会に金の量を増加させる。しかしこの増加した金は金融や企業利益に吸い込まれる。国民へのバラマキも1回転して企業に吸い込まれる。ますます企業だけが肥え太るばかりで金は天下の回り物というものから外れていく。

7-9月期の企業利益は大きく増加をした。しかし同月のGDPはマイナスとなっている。


≪過去の記事≫

【2003年】
「ハードボイルド」「ハードラック」
幻冬舎文庫
吉本 ばなな 著

どちらの作品も死んだ人を通してそこに残された人たちの経験が著されています。
「ハードボイルド」は、ある女性が不思議なまるで深い夜のような深い霧の中に住むようなそんな女性千鶴と一緒に生活をし、肉体関係を持つまでにいたっていました。その不思議な女性と別れしばらくすると火事で死んでしまう。
ある日主人公の女性はハイキングに行き、石ころが積まれた何か不思議な力を感じる祠を見る。夜になってやっと安宿にたどり着くが、そこで不思議な夜の体験をする。
夜明けを待ち遠しくなるようなそんな夜。
宿に着く前に寄ったまずいうどん屋の中では、バッグから知らない石ころが転がり、その後にそのうどん屋はボヤを出す。あの祠の石か?火事・・・・・死んでしまった千鶴との関係?
主人公の女性は、何回も千鶴の夢を見る。知っている千鶴とはなんとなく違う。そのうえ怪しい女性の訪問を受ける。宿屋で自殺した女性の幽霊。
主人公も千鶴も幽霊も不幸を背負った女性ばかり。でも千鶴は生活音の中に人間の暖かさを感じて生きていた。別れを持ち出した主人公は、千鶴がどう思っていたか心配だった。このいやな夜も千鶴の不思議な力か?しかし人の暖かさを知る千鶴は、最後の夢に出てきて、はじめに見た夢のいやな千鶴は私ではなく、今見ている夢がほんとの私という。千鶴は主人公が邪悪な祠を見たので心配になってついてきた。
うどん屋がボヤで終わったのも千鶴が助けてくれたのか?
千鶴は邪悪なものから主人公を守ったようである。
主人公は、千鶴が自分を恨んでいたのではないかと心配であったが、この夢から、千鶴が心配をしていてくれたことがわかり、二人の生活を良い思いでとしていけるような終わり方である。
「ハードラック」は、脳死をした姉を通じて、姉の婚約者の兄と主人公とのふれあいである。婚約者を残し脳死状態の姉。それもその婚約者は弱気ですぐに婚約を解消するような人間。そんな姉が横たわるベットの前で知り合う。
お互いに生命維持装置をはずす直前の姉を前にして素直にはお互いの感情を出せずにいる。
維持装置がはずされた夜、人は死ぬ前に頭の中に響くような音楽響き渡るという話から、姉の好きなユーミンの歌を二人で歌う。このとき二人の姉へのこだわりが消えていく。二人はそれぞれの道へと進むが再開を約束する。
人の死は悲しみであるが、その死んだ人が愛してくれることによって自分は守られているというようなそんな不思議な気持ちを抱く二つの作品でした。
このように霊的なあるいは不思議な力のお話としてだけではなく、死んでいくときに自分が残す人々に何を残せるか、それが邪悪(というよりも悪い心か)なものか、幸せか。それは残された人々の心へしか残せないものである。
僕は不思議なお話という面ではなく、この心のこととして何か温かいものが読後に残りました。

【2004年】
唯川さんの「肩越しの恋人」を読み終わりました。
近いうちに感想を入れます。
このところ女性作家ばかりを読んでいたので、脳みそがとろけそう。。。(笑)
何も甘くて飽きたというわけではないですよ。少しづつ女性作家の世界がわかってくると、ますます深みにはまっていくほど好きです。奥が深いです。
しかし、好きな善哉だけど、ちょっと柴漬けを合間に食べたいということもありますからね。。。
そんなわけで漱石のお弟子さん内田百閒の「私の漱石と龍之介」を読むことにしました。たしか内田百閒は、川上さんの作品に影響がったというようなことを読んだ覚えがあります(記憶違いだったらゴメンナサイ)。川上さんは、漱石の「夢十夜」や初期のロマンティリズムの孫弟子と言うことか?
内田百閒にも興味があります。
昨夜の忘年会が始まる前に大きな本屋さんで見つけました。
そういえばノーベル賞作家大江健三郎も読んでいなかったので(昔からあまり言い印象がなかったので)買ってみました。こちらはまた時間を置いてから読みたいです。
相変わらず空気が乾燥しています。唇ががさがさ。。。。

【2005年】
師走になったせいということではないと思いますが、いつもは渋滞などはない路地が渋滞してました。どうも事故らしかったです。なんとなく気があせるような雰囲気が町に漂っています。
12月ですなぁ。。。
桜の木など、紅葉していた葉もほとんど散ってしまいました。まさに秋が冬にバトンを渡そうと併走しているような季節です。
水道の浄水器のフィルターがそろそろ替えどきになってきたので早めに刈っておこうとスーパーに行きました。浄水器本体をこのスーパーで買ったので交換フィルターもあるはずと思ったのが間違いです。売るだけ売って交換フィルターなどは置いてない。我が家の使っている機種だけではなくて、他のメーカーや同じメーカーのものでもフィルターがほとんど並んでいない。
同じメーカーの浄水器も様々な型のものがあり、同じ機種にもいろいろなタイプのフィルターがある。そしてメーカーも数社あるわけで、すべてのメーカー・機種・フィルターの種類とある中でスーパーでもすべてのフィルターの種類を在庫するというのは難しいのかな?それにしても使っているフィルターの機種番号のようなものをしっかりとメモして買いにいかないとえらいことになってしまう。数千円もするものだから。。。
こんなわけで浄水器のフィルター一つ買うにもイライラするなんて、世の中が便利になったようだが多様化しすぎてシステムを維持するのにぎくしゃくさが出ているのではないか。浄水器のフィルターが売られていないということぐらいならまだいいが、今問題になっている欠陥マンションの問題は、衣食住の一つである国民生活に最も重要な住居の問題であり、それは命の問題であり、この安全上の社会的システムが狂ってきていることである。豊かさが表面的にはあるようだが、目に見えないところでは貧困さが存在し、その社会的貧困さが目に見えるようになってきたということである。ネットでの株売買が進み株価も上昇している中で、デフレからの脱却が言われ始めているが、経費削減のためには詐欺まがいの欠陥マンションが平気に売られること自体デフレなど脱却はしていないのである。表面上の反映と影の貧困が同居をしている。
競争社会というシステムの中で、弱者が犠牲になうような事件なども増加をして人の心もすさんできている。心も貧困化をしている。
窮乏化作用というカビの生えた古臭い言葉が庶民生活の中にしみこみ現れ始めているのではないか。

【2006年】
(記事なし)

【2007年】
(記事なし)

【2008年】
(記事なし)

【2009年】
(記事なし)

【2010年】ツイッターつぶやき
寝ぼけ眼でコーヒーを淹れ新聞を広げる。まだ掃除もしていないリビングに数日間の新聞が積まれている。一面の記事が目に飛び込んでくる。まだ目覚めぬ脳みそに刺激が入ってくる。コーヒーは苦い。。。。。
脳みそに入ってくる刺激は混乱を引き起こすほどに盛りだくさんである。よいことならいいがそうではないさまざまな刺激のある棘のある文字。それは混乱の中に曖昧な一つの言葉になって。
ソビエト崩壊に似ている。。。一つの政治的システムの崩壊。
ソビエトや東欧諸国の崩壊の根っこは経済的なシステムの崩壊があったのだろうが、一つの社会システムが崩壊するにはその経済的基盤の脆弱性を基本としながら上部構造の崩壊がはじまる。それは民主主であったり事由というある意味抽象的な言葉が具現化する瞬間にある。「自由と民主主義の勝利」この言葉は中国に対する圧力の言葉であり、極東で言えば北朝鮮に向けられている。
しかし、この「自由と民主主義の勝利」は、ソビエト東欧諸国崩壊に対する先進資本主義国の宣言であったが、この言葉自体が今や先進資本主義国に投げかけられるように何かがうごめきはじめているのではないか。
それは、その崩壊の兆しは、やはり根幹は経済的矛盾の深まりであり、その矛盾を現在のシステムでは解決できない状態に深めてきてしまったことにあるが、その矛盾の具現化は、社会システムのちぐはぐさとして現れ自由や民主主義とは何かを問い直そうとせざるを得ない状態になったことである。
先に書いたようにさまざまな新聞の記事は脳みそを混乱させるように乱雑に情報として現れるが、その一つひとつが社会の崩壊に小さな表れとなっているのではないか。
今の社会はネット社会である。リアル社会はその中に貧富の差を拡大させるが、ネットはこの貧富の差を緩和するように無料となってその情報をやはり乱雑だがあるときは集約をする。ソビエトの崩壊時はどうだったか、今の中国への民主化を要求する手段としてのネットはどうなっているのか、同時にそれは先進資本主義国の自由や民主化をも経済的批判として何かがうごめき始めているのではないか。それは情報発信の特権がマスコミや知識人などの独占から離れて一般国民の手に入ったという自由と民主主義の発展である。
しかし同時に日本でも尖閣諸島ビデオを発信した動きもあったし、アメリカにおいて「外交の9・11だ」と言わしめるほどの外交文書の暴露があった。これは報道の自由と国民の知る権利という自由と民主主義の問題を投げかけるだろうが、反面その情報を公開するやり方への自由と民主主義の問題もあわせて投げかけるものである。
リアル社会においての混迷とそれが具現化し波及するにつれてのネット社会のうごめき。ここからもう一度徐々にではあるが自由と民主主義とは何かを見つめる動きが出るのは必然だろう。ここに到達してこそ自由と民主主義は目に見えた穏健的だが力のある国民運動として現れるだろう。
中国のネットに対する規制が言われる。一方ネットが無料(低額)であることに対する規制も現れるかもしれない。ネットも一つのマスコミのようなもので広告費からなる。経済情勢が新聞やテレビのあり方を見直すようなところにもきているが、ネットも同じ経済的基盤の中にある。寄付によって維持するといった動きも。しかし企業の売り上げは巨額な広告料を支払ってもその広告の魅力は捨てるわけにはいかない。リアル社会はそんなさまざまな一つの矛盾の中に、その矛盾解決の中に自由と民主主義を発展させる動力を持つ。
必然性はどこに?目を見開いて見つめたいです。

ううう。。。。雨
家の中の洗濯物がいつまでもじっとり。
仕事が遅くなったので外食。
ラーメン屋さんに入ったのですが、このラーメン屋さんがすごい!中華のメニューのほかに、飲み屋さんで出すようなつまみがいっぱい。
思わずつまみとビールを頼んでしまった・・・・ハハハ
おいしかったです。
川上弘美さんの「溺レる」を読んでいます。
なんだかなぁ・・・・・
絶望感というのか、動物的本能だけというのか・・・・・
かといって人間的なものもある。けど、その人間的なものをまた否定するようなものがある。独特な世界があり、なぜか樋口一葉の作品を思い出してしまった。。。。。

【2011年】ツイッターつぶやき
(記事なし)

【2012年】ツイッターつぶやき
「仕事ではなく身分が欲しい日本人」という文章が出ていた。
「日本人の多くが仕事ではなく身分を欲しているからだと思う。つまり、現在の正社員のように身分として雇用と収入が安定していることが重要なのであって、それ以下の収入や不安定な雇用については、「何の足しにもならない」と考えられている」
なんだか、発想がさかさまになっているんじゃないかと思います。
日本は格差が拡大して労働者の中にもその格差が拡大した。昔から男女格差や企業規模での賃金格差そしてもちろん正社員とパートなどの格差などもあったが、この間派遣法の改悪などから格差は拡大していると思う。これらの格差の拡大は自然水準ではない。企業論理とそこにくみする政治的な人的な格差拡大である。この格差の拡大からの格差が目にはっきりと見えるようになり、社会問題化する中に階層という意識も生まれ、雇用身分もそこに位置する。このような流れが自然なものとみると、「日本人の多くが仕事ではなく身分を欲している」というさかさまな発想が出てくるのだろう。
なぜ派遣やアルバイトパートなどの非正規労働から正社員を望むか、それは身分ほしさではなくて少しでも高い賃金や条件を得たいと思っているからである。
この身分から見た正社員と非正規社員との格差をなくすことを正社員の身分剥奪から進めようというのはたしかに格差の縮小でしょうがこういったマイナス思考の考え方は案外多くあり、公務員の懐古規定やら賃下げ人減らし攻撃にも表れていたし、それがついに正社員攻撃に向けられることになってきているという事でしょう。
労働市場制度改革を実行すれば、正社員の立場は不安定になるだろう。一方で、最低賃金廃止と解雇規制緩和により雇用は増える。」
労働市場制度改革で自然失業率を下げ、その他の規制緩和と合わせて潜在成長率を上げていくことが、雇用創出と日本経済の再生には欠かせない条件である。」
ここで言う自然失業率は長期的な結果としての失業率といったようなものでしょう。なぜ「最低賃金廃止と解雇規制緩和により雇用は増える」といえるのでしょうか?賃金が安くなれば雇用は増える?低賃金化の中で自然失業率は下がる?
例えば日本の企業が中国に安い賃金労働を求めて行ったとき、仮に中国の賃金が日本の半分だとしても中国工場で日本工場の倍の労働者を雇うなどという事はありえないでしょう。ましてやデフレ下の国内で賃金が半分になったからといって倍の人数などを雇用はしないでしょう。やはり中国と同じように限られた人数しか雇用はしない。雇用の拡大のためには企業の設備投資が必要で、倍の人数を雇うには倍の設備が求められる。中国のような成長過程の国ならあり得ますが。自然失業率が下がらないでしょう。
結局は正社員層という中間層を破壊して低賃金化にしていくことでしかない提起なのです。
民間中間層そして公務員という中間層を破壊して、同時に低賃金層はそのままにあるいはさらに低賃金化に持って行くことは、その国内消費を下げてデフレはさらに進むでしょう。

【2013年】
(記事なし)

【2014年】ツイッターつぶやき
ブログでは「悪性の物価高」という言葉を使っていたが、最近は急激な円安に対して「悪い円安」という言葉観る。政府もこの急激な円安に警戒感和示す。
円安は株価も上げて物価も上げてきた。しかしこの円安によって労働者の実質賃金は下がり、国内(内需)産業はやはり輸入物価に苦しむ。円安の効果が見えていたと仮定してもその円安が逆に足かせとなるという分岐点にきているのではないか?
原油の値下がりが続いている。これは輸入物価を下げて国内産業のエネルギー使用の負担を下げるでしょう。すると値下げを許す環境が出てくる。物価を下げる圧力となる。物価が下がってもすでに労働者の雇用環境を見ても個人消費は急激には増えないでしょう。すると値下げ傾向は下手をすれば値下げ競争ともなる。それはデフレ圧力でしょう。
一方では消費増税の延期で国債の信用が落ちてきている。それが円安要因になるかもしれない。もちろん日銀は追加緩和をしているわけですから円安は進む。
デフレ圧力が強くなる一方での円安。
これはやはり悪い円安でしょう。同時に悪性の物価だからこそデフレ圧力は常に働いていたのです。

【2015年】ツイッターつぶやき
(記事なし)

【2016年】ツイッターつぶやき
(記事なし)

【2017年】ツイッターつぶやき
今年はフリージアの他にブローディアや球根ツリガネソウあと名前を忘れましたが2種類植えてみました。
フリージアはすでに芽が出て大きくなってきましたが、その他の球根は芽が出るのが遅くてやっといくつか芽を出しました。
フリージアが主体なのですがその他の花がうまくフリージアの開化に合えばきれいだと思います。紫や黄色、ピンク。。。。
春が楽しみです。
昨日書いた多年草のプランタそして今回の球根のプランタ。。。。植え替えの楽しみは減りますが大きくそして球根が増えてどのように成長してくれるかが楽しみです。

スーパーに行ったらエゴマがあったので買ってきました。
このエゴマで何をつくろうか?
タコの刺身を買って和えることにしました。
エゴマは千切りにします。そこに醤油、味噌少し、砂糖、ごま油、白ごま、七味唐辛子、おろしニンニクのたれを入れて混ぜておきます。
ここにタコの刺身を一口大に切って入れてさっと和えました。
試食をしたら案外うまいです。
エゴマは好き嫌いがありますからね・・・・・・でも日本酒があいそうです。

【2018年】ツイッターつぶやき
アゴラに「ランチを値下げではなくて値上げしてほしいという理由」という記事があった。
超人気店のランチ時間が混雑をしてヘビーユーザーである著者が困っているようである。そこでこの著者は
「ランチの価格を値上げして需要のコントロールをして欲しいと思っています。現状はフリードリンク付きで1200円程度ですが、これを1400円くらいに値上げする。そうすれば、ランチタイムの殺人的な混雑は緩和でき、従業員の待遇も良くなるはずです。」(引用)
結局1400円という値段に躊躇する客が出るために「殺人的な」混雑が避けられるのではないかという発想でしょう。
この著者はもちろん1400円でも食いたいという気持ちがあり、財布の中身を考えても躊躇はしないということでしょう。今の時代こういった発想をするカネ中心の考え方は多いのでしょうね。躊躇して行けなくなった人たちもランチを食いたいわけで、その人たちとは財力での差だから仕方ないと。。。。。。
ひどい発想ですなぁ。。。。。
昔聞いた話だったか、駅前の駐輪場が満杯で増やしてほしいという要望が出たが、そこで何をしたかというと駐輪場料金を値上げしたそうです。すると要望を出す人も減ったといいます。
後期高齢者の医療費負担も昔は無料だったと記憶していますが、病院の待合室もお年寄りでごった返した、そこで1割負担をというものが出たような?(記憶違いならごめんなさい)
タバコも同じ発想があって、値上げすれば禁煙する人が多くなるだろうと毎年のようにたばこ増税が行われる。禁煙運動にはこの発想がある。
このアゴラの記事のような発想をする人々が社会の隅々にまで広がっていくでしょう。
発想の中身は少し違いますが、政府や日銀は物価上昇を良しとします。これにはマスコミもたくさんの経済評論家も否定をしません。その政策にあるアベノミクスと日銀緩和は経済の好転からの物価上昇ではなく、結果として輸入品の物価上昇を起こしてしまった。物価を上げる(値上げをする)という発想には必ず矛盾を大きくする危険性が隠れている。

ちょっと落ち着いたテンプレートにしようと思いました。でも少し明るめのベージュ系に。。。。。

【2019年】ツイッターつぶやき
「国会審議中にマイボトルでコーヒーを飲んではいけないのか-。小泉進次郎環境相が、慣例に縛られた国会のルールに一石を投じている」(産経新聞
僕も国会銀も審議中に缶コーヒーぐらいは飲んでもいいと思う。我慢して居眠りをされるよりずっといいでしょう。
しかし役所や企業の窓口に行っても昔のように湯飲み茶碗を机の上に置いている風景はもう皆無になっている。お客様(市民の皆さん)にだらしないものは見せられないという理由もあるでしょうし、苦情魔の餌食にもなる。そして理由の一つに仕事の生産性が落ちるという企業論理も存在する。
以前ちびだら飲みと喫煙という記事を書いたが、喫煙は喫煙所に言ったりして生産性が落ちる。労働者間でも喫煙者ばかり求刑しているという不公平感が言われた。しかし喫煙がだめで缶コーヒーならいいという論理は成り立たない。禁煙の次はちびだら飲み禁止でしょう。もちろん自由な働き方を進めている企業は違いますが。
小泉さんも、自分たち議員ばかりに目を向けずに労働者全体を見まわして「働き方改革」の一環としてみるべきでしょう。
国会議員は国家国民のために働いているんだからいいだろう!ではだめです。国民も国家国民自身のために働いているのですから。

【2020年】ツイッターつぶやき
自民党内ではGO Toを来年5月の大型連休まで延長する要望が出ている一方で、東京での感染拡大の中Go Toから高齢者の排除が決まりそうです。高齢者はGo Toで東京にはこれないし東京からも出かけられない。
感染したら高齢者は重症化や死亡しやすいから高齢者を守るやさしさの様に勘違いしてしまいますが、これ以上重症者や死亡者が増えたら医療崩壊してしまうから高齢者を隔離するというものでしょう。
しかし現在の感染拡大の特徴は家庭内や老人施設や病院でのクラスターが多いわけで、Go Toで若い人の感染拡大があれば、すぐに高齢者の感染拡大が進みます。実際、若い人の感染増からだんだんと高齢者の感染者数が増えていったというのが今回の第三の波の特徴でもあります。
Go Toは税金を使った経済対策ですから、平等性が必要です。高齢者除外というのは平等ではありません。コロナ感染拡大を防いで収束してからGo Toを行うべきです。

【2021年】ツイッターつぶやき
             



「東京・天王洲で開催中の「バンクシーって誰?展」。会場内は全て撮影可能で、SNSで連日多くの写真が投稿されています。」(日テレNEWS24
絵画展としては異例の写真撮影OKでした(一部撮影禁止はありましたが)。



今回の展示の特徴はバンクシーがどのようなところに絵を描いたかというものが再現されていることでした。

      

そして社会の怖さとそれへの皮肉。。。。。



そして平和。。。。。



       

【2022年】ツイッターつぶやき
ツイッターより
国は無理のない程度に節電をお願いするとソフトな言葉で国民にお願いしている。
しかし。。。。
電力料金を30%以上値上げを許しているのだから 低所得層に対しては節電を強制しているに等しい。
マイナンバーカードにしても同じで、カードを作るのは任意であり協力をお願いしたいとする。
しかしマイナンバーカードに健康保険証を入れてこれまでの保険証を無くすと。車の免許証やらコンビニで酒やたばこを買うための証明書を入れるとか。
もう、ここまでくると任意ではなくて強制です。
節電は無理はする必要はない。マイナンバーは任意ですと。しかし先にツイートしたように現実は強制となりつつある。
こういった卑劣なことを国が行っているのである。
これまでも喫煙は自由だとして、たばこ増税で低所得層に強制禁煙を進めてきた。格差社会を放置し、その格差を利用した強制禁煙。
金でも、地位でも、腕力でも、それを利用して俺はお前に強制をしているわけではないが、俺の言うことはわかっているよなと恫喝する人間がいたが、国がこれと同じことを行ったら世も末である。
国家権力がこのように動く危険性。。。。。
自由と民主主義という言葉が消えて久しい。
国民のための政治と国家が消えて久しい。
今や恫喝国家となった。

【2023年】ツイッターつぶやき
昼飯は外食でした。
街の定食屋さんのようなところで、夜は酒を出すようでつまみメニューがたくさんありました。
カツとじ定食にしましたがカツが小さくなりました。
時々行く店ですが、そうは値上げをしていないようでしたがカツが小さくなっているような。
値上げをした高いものを食うか、値上げはされないがしょぼくなったものを食うか。
貧乏人は究極の選択をせざるを得ない世の中ですなぁ。
これが日本社会自体の貧困化です。
 
【2024年】ツイッターつぶやき
(記事なし)
 
 
 
 

2025年11月30日(日)「神隠し」

先週からフライパン返しが行方不明で思い当たるところを全部探したのですが見つからない。フライパン返しはもう一つあるのですが、ぐにゃぐにゃに柔らかいもので使い道がない。ハンバーグを裏返そうとしてもぐにゃぐにゃでうまく返せない。目玉焼きなどはぐちゃぐちゃになってしまう。今朝もイライラしながら目玉焼きを作りました。

我が家のフライパンはテフロン加工などをしていない鉄板そのものですからどうしても固いフライパン返しでないとだめです。

妻にも思い当たるところはないかと聞いたのですがないと。

捨てるわけがないので、もう、神隠しにあったものと思わざるを得ない。

仕方がないので今日ホームセンターに買いに行きました。

昼少し前に出かけたので先に昼食をと思いバーミアンへ。

バーミアンの楽しみの一つがデザートのオーギョーチ。

台湾のスイーツらしいですが、あのつるんとした食感とレモン風味のシロップそしてクコの実がいいですなぁ。以前テレビで作っている店の紹介がありましたが、水の中に何かの粉のようなもの(ある植物の種子らしい)を入れてかき回すと固まる。それをすくって食べるようでした。

手軽に食べられる店はバーミヤンしか知らないので楽しみです。

オーギョチーに満足してホームセンターでフライパン返しなどの買い物をし帰りました。

これから寒くなると湯豆腐もうまいので湯豆腐用の大きさの土鍋も買いました。以前土鍋があったのですが、やはり行方不明になっていました。

帰宅して買い物したものを片付けていたら、妻が「あったぁーー」と。

ガスレンジの下の棚の奥に行方不明の土鍋があったと。。。。。

勝ってきた土鍋を出しながらしばらくどんよりしていました。

神隠しにあったフライパン返しもそのうち帰ってくるのかも…

 

11月30日という日

【2025年】

先週からフライパン返しが行方不明で思い当たるところを全部探したのですが見つからない。フライパン返しはもう一つあるのですが、ぐにゃぐにゃに柔らかいもので使い道がない。ハンバーグを裏返そうとしてもぐにゃぐにゃでうまく返せない。目玉焼きなどはぐちゃぐちゃになってしまう。今朝もイライラしながら目玉焼きを作りました。

我が家のフライパンはテフロン加工などをしていない鉄板そのものですからどうしても固いフライパン返しでないとだめです。

妻にも思い当たるところはないかと聞いたのですがないと。

捨てるわけがないので、もう、神隠しにあったものと思わざるを得ない。

仕方がないので今日ホームセンターに買いに行きました。

昼少し前に出かけたので先に昼食をと思いバーミアンへ。

バーミアンの楽しみの一つがデザートのオーギョーチ。

台湾のスイーツらしいですが、あのつるんとした食感とレモン風味のシロップそしてクコの実がいいですなぁ。以前テレビで作っている店の紹介がありましたが、水の中に何かの粉のようなもの(ある植物の種子らしい)を入れてかき回すと固まる。それをすくって食べるようでした。

手軽に食べられる店はバーミヤンしか知らないので楽しみです。

オーギョチーに満足してホームセンターでフライパン返しなどの買い物をし帰りました。

これから寒くなると湯豆腐もうまいので湯豆腐用の大きさの土鍋も買いました。以前土鍋があったのですが、やはり行方不明になっていました。

帰宅して買い物したものを片付けていたら、妻が「あったぁーー」と。

ガスレンジの下の棚の奥に行方不明の土鍋があったと。。。。。

勝ってきた土鍋を出しながらしばらくどんよりしていました。

神隠しにあったフライパン返しもそのうち帰ってくるのかも…

 
≪過去の記事≫

【2003年】
『神様のボート』
新潮文庫
江國 香織  著

子供から見ると、親というものはその昔にさかのぼるほど霧の中に霞んでいく。親から聞いた昔の話をぼんやりとその景色として描いていく。
親は、自分の子供時代のように自分自身の昔にさかのぼると、やはり霧の中に霞んでいく。
この小説を読み進んでいくと、読んでいる僕自身が葉子という女性を霧の中に発見していくような気分になる。葉子の娘草子は、母とまだ見ぬ父親が愛し合っていたことと父親が必ず迎えに来るという母親の信じる確信はあるものの、どこまでが本当の話なのか、どこかに不安を感じながら霧の中にいる母親と「神様のボート」に乗っている。これと同じように、読む僕も「神さまのボート」に乗せられていくと錯覚をする。
葉子は、過去の思い出は箱の中に入れて今を生きていこうと前向きな女性である。しかし一方では別れた男を「箱」をのぞいていてはそれがすべてと生きている。2,3年に一度は娘草子と引越しをする。前向きに生きているはずだが、引越し先の人間関係が安定をしてしまい、男の存在を自分が忘れてしまうことを恐れているようにして引越しをする。葉子にとっては、男との再会が人生のすべてである。これが神さまに運命付けられたように漂うようこのボートである。
読者もこのボートに乗りながら葉子と男の過去を次第に知っていく。
娘草子は、小学生である。母親と暮らすという面では、まるで霧の中を漂ってばかりいるボーに乗せられているだけである。もちろん、どんなにすばらしい父親であるかを葉子から聞くことが楽しかった。でもやはりそのボートは霧の中である。
草子は中学生高校生へと成長をしていく。成長とともに現実を見る。その現実が草子にとってのボート。霧の中ではなくて未来という明るさがあるボート。
小説は、このような葉子と草子の思いを相互に書き進められている。ここがこの小説の面白さだと思う。葉子から見た草子への目。草子から見た葉子への目。お互いに心配をしながら、思いやりながらも時間の中で違うボートに乗っていく。その表現が面白い。
高校生になった草子は、葉子に現実の中に生きなければいけないというようなことをいい高校の寮に入る。
草子という「神さまのボート」の同乗者がいなくなったよう子は、ただ一人霧の中。現実・・・・・葉子にとっては、元の夫(愛する男は不倫相手)、両親、生まれ育った東京が現実。葉子は東京に帰る。駅に降り立った葉子の体に東京という空気が沁み込む。葉子は現実の中に戻る。でも、その中では生きていけないところまで追い込まれる。生きていても仕方がないというところまで。
最後の結末は・・・・・・・・
内緒にしておきます。

夕方スーパーに買い物に行ったらすごい混雑でした。カートを取ろうとしたらなかったです。
そういえば今日が月末、28日あたりが給料日で、最初の週末ですからね。
食パンが売り切れていて買えませんでした。

【2004年】
ううう。。。。。忘年会

【2005年】
スーパーにアン肝(生)があったのでアン肝味噌汁を作ってみました。
アン肝と味噌をなべ底で炒るように火を通して具は大根にしたのですが、どうも生臭さが出て家族には不評でした。僕はうまいと思ったんだが。。。。
昨夜の「おまけ日記」に書いた「メカジキの柚子風味揚げ」も、揚げすぎたようで柚子の風味がだいぶ抜けてしまった。
なんか。。。スランプかなぁ。。。ハハハ
季節のものを使ったのだけど。。。

【2006年】
デジカメが壊れてから久しい。
時々買いたいなァとは思うものの高いので買いそびれていました。
でも、よくよく思うに、携帯がある。今の携帯は画像もきれいになっているからなァ。。。。と、いうわけで、先日携帯とパソコンをつなぐUSBケーブルを買いに行った。
店の中に入ったら、そうは混雑をしていないよう。。。。
しかし順番を待ってもなかなか呼ばれない。今は携帯も番号そのままで会社を選べる時代ですからいろいろと変更する人が多いのでしょう。一人の持ち時間が長い。「ケーブルだけを買うだけなんですけど!!」と店の人に言ってみたら、「はい、今順番になりまし」と。ほんとかな?文句を言ったから呼んでくれたのか?
携帯の新機種やらがたくさん並んでいる。でも。。。。ケーブルはないという。1週間待ちのよう。携帯は人気機種の在庫切れはあるもののすぐに売るが付属品の在庫はないのかな?ケーブルぐらい場所をとらないのに。
なんだかどんよりして帰ってきました。
旅行のときの写真をアップしようと思っているのですが、携帯画像でもパソコンで見るぐらいなら十分かなと思います。HPにアップすると重くなるので、写真館を探していたらあったのでそちらを検討中です。
今夜は、サバの竜田揚げ。
少し醤油を入れすぎました。。。。

【2007年】
(記事なし)

【2008年】
(記事なし)

【2009年】
(記事なし)

【2010年】
資本主義の矛盾を解決するためにはその仕組みを知らなければならない。その仕組みは現実に現れている現象をしっかりと見て分析する中にこそ知ることができる。
さまざまな現象は偶然の中に現れているようだが、その偶然性の度重なる中に普遍性が見えてくるはずである。
普遍性は一つの真実でありその真実を一度抽象化をして法則性を見つけねばならない。その法則性が見えたなら、また現実の偶然性や突発性の中に現れる現象をその法則性から分析をする。するとその偶然性などが法則性から離れるものかそうでないかが見え、法則的な矛盾ならば根本的な解決の道を探らざるを得ない。その解決の道はまた今現在の現象として現れている中からの発展でなければならない。空想的であってはならない。
空想的にならないためには、そして真実を曲げた解釈と解決にならないためには、先入観に陥ったりそして少数意見を排除してはならない。
あとは人の行いとして社会は現れるわけだから、一途に真実を見ようという人々が結集しなければならないだけだ。
一昨日の夜、NHK教育で「一週間de資本論」という番組(シリーズ)をやっていた。去年あたりに「蟹工船」ブームというものがあったり「資本論」もいろいろな形で解説された。その流れとしてのNHKの番組でもあるでしょうが、同時に今の資本主義の中心となる先進国が抱える問題の解決の糸口が見えなくなり、下手をすれば金融恐慌かといわれるような経済情勢になっている。そういう中で恐慌とは?国民生活の犠牲とは?といったものを分析する一つの経済理論としての「資本論」が注目されているのではないか。もちろん注目といっても社会主義を目指すわけではとうぜんない。そうだとすれば、新しい資本主義の模索だろう。その新しい資本主義は、「自由と権利」と「規制と責任」といった矛盾の解決に他ならないだろう。国・財界・労働者(勤労国民)これが三位一体となった民主主義とは?それはそれぞれに自由であり権利を犯されない。しかし同時に規制を受けて責任を負うということである。例えば、現在雇用の流動化を促進しようという中で解雇規制の緩和が言われている。財界が解雇する自由や権利の拡大し、その法的な基礎を国が作る。しかしそれだけでは労働者の自由と権利は侵害をされる。そうすると財界や国は自由と権利を行使したならその労働者を守るための自らの自由と権利を規制する何かしらの方策を立てるのが義務となる。
このようなものを突き詰めていくと、そこには資本主義らしい(財界や国は労働者の首を勝手に切れる)資本主義から脱却をして資本主義らしくない資本主義に移行せざるを得ない。その一つが社会民主主義で、そこには社会主義の理想も排除するようなものではない。しかし同時に市場というものも排除するものではない。
先進国の経済力そして形式化していくような状態だがそこにある民主主義。それを活用できる状態に今ある。

【2011年】ツイッターつぶやき
(記事なし)

【2012年】ツイッターつぶやき
これから選挙戦ですが、選挙後はどのような政権になるのでしょうか。
どうも今の様子では民自公の「安定的な」国会運営が続くのでしょうか?自民党改憲をはっきり言いだし、公明党民主党は批判気味です。原発についても意見が大きくなってきました。でもこれはあくまでも選挙戦での発言ですからどうなるかはわかりません。
民主党の大幅な議席減があるでしょうが、それがすぐに自民党政権につながるかといえば、維新の会という第三極が大きく報道もされ、維新の会への結束がうまくいかない中にもう一つの第三極である未来の党が結束し始める。どちらの第三極も民主党の票を奪うでしょうから自民党の独り勝ちといったものは減ってきたと思います。
選挙後はまた連立問題が出ると思いますが、その時に選挙での公約や様々な政策への責任が問われるでしょう。

【2013年】ツイッターつぶやき
10月の消費者物価が5年ぶりにプラスに転じたという。
「主な上昇品目は電気代(前年比8.2%)、ガソリン(同7.1%)など。生鮮食品を除く食料も肉類や魚貝缶詰、乳製品の上昇で前年比0.2%上昇した。傷害保険料(同10.1%)や外国パック旅行(同3.7%)も上昇し、コアコア指数がプラスに転じた要因となった。エアコンや炊飯器などの値上げや下げ幅縮小も指数を押し上げた。生鮮食品を含む総合指数は前年比1.1%上昇した。 」(上記リンクページより引用)
この物価の上昇は、円安と原材料費の値上げからです。
この物価上昇がプラスに転じたことにより「デフレからの脱却」となるだろうか?
10月の消費動向(消費者態度指数)は逆にマイナスとなっている。
賃金は、基本給でもボーナスを含めた総額でもマイナスとなっている。生鮮食品を含む総合指数の1.1%上昇は、さらに賃下げと同じものを労働者に投げかけているということです。
このような実態でもマスコミや政府はこの消費者物価の値上がりでデフレからの脱却を言い、それを円安効果とも言う。物価上昇2%目標の中身がこのような実態の中で進んでいるのです。
物価が下がり続けるのがデフレという定義から悪性の物価上昇でもデフレからの脱却と見る。これは見せかけのものでしかないでしょう。賃上げもあり消費者の消費動向が活発化して物価が値上がりするという本来の経済の建て直しからの物価上昇ではないのです。マスコミも政府も今後は賃上げが必要だと逆立ちをした論理になっていますが、そうは賃金は上がらないでしょう。多少あがっても悪性の物価上昇に追いつくかどうかといった程度で、それが更なる消費の拡大とはならないでしょう。

【2014年】ツイッターつぶやき
ロイターに(共同通信社が実施した:12月1日追加訂正)世論調査が載っていた。
内閣の支持率が逆転をして不支持が支持を上回った。そして望ましい結果としては『「与党と野党の勢力が伯仲する」が53・0%と過半数』そして何よりも今回の選挙は「アベノミクスが争点」といわれる中『「実感していない」が84・2%』とその生活実感としては今の契機に対して懐疑的になっているという事だろう。
この結果は今の安倍政権への三拍子そろった批判の矢となるのではないか。
国民意識に変化が出ているのではないか?
それは期待から現実に目を向けるようになっているという事でしょう。
アベノミクスを問う選挙といわれていますからそのアベノミクスの見方といってもよいでしょう。
また安倍政権は民主党政権時に国民からの国会の「ねじれ」批判あるいは決められない政治批判の中で強い政権ができたのですが、そのねじれや決められない政治を批判した中での反批判とも見える。
そして国民が事故の生活を見た時のアベノミクスの成果についてである。
まだ期待から失望へとはっきりはしていないかもしれないが。やはり期待から現実をという芽が出始めているのでしょう。

【2015年】ツイッターつぶやき
(記事なし)

【2016年】ツイッターつぶやき
(記事なし)

【2017年】ツイッターつぶやき
いつも行く花屋さんに時々ネメシアの花が置いてある。しかし置いてある蜂が少ない鉢が少ないです。人気があるのですぐに売れてしまうのか、入荷する花の数自体が少ないのか。
ネメシアも花の数が多くて今日見たものは黄色と白のきれいな花でした。名前は・・・・ネメシア 忘れた(笑)たしかレモンがついたと記憶します。もう空いた鉢がないので買うのをやめました。今あるのはメネシア ネシアという種類で、オレンジ色に少し白が混じったやはりきれいな花です。多年草だそうですのでこれからの生長が楽しみです。寒くなり花数が増えてきました。夏の暑さに耐えられれば春から初夏、そして晩秋から冬に楽しめます。
すっかり好きになりいく株かを育てたくなりました。
秋口にはプランタにキンギョソウビオラを寄せて植えました。
買ってきたときの花は全部終わったのですが、寒くなりたくさんの花芽が出てきてきれいです。花の咲く期間も長く、花の茎からたくさんの花をつけます。咲き方がネメシアに似ているような?同じ種類なのかな?
プリムラはでんでん虫かナメクジに花を食われてしまいました。本格的な冬になればいなくなるでしょう。
多くの花が冬でも咲きましたが、春にぐんっと成長すると思います。楽しみです。
ブルーサルビアは冬眠かな。撫子は冬はどうなんでしょ?

【2018年】ツイッターつぶやき
イートインの風景。。。
これを書こうと思ったらジャンルを何にするか迷った。最近はスーパーでもコンビニでもイートインのスペースができて便利になりました。これだけ増えてくればイートインというものも「暮らし」のジャンルでもいいのかと思い、「暮らし その他」にしました。
家で昼飯を作るのも面倒、しかし外食をすれば高いし時間がかかる。そこで買い物ついでに弁当を買って100円コーヒーでも飲めば安く上がる。安くてうまい牛丼屋さんより手軽かもしれない。
少し贅沢をしたいならスイーツも買ったりしてもそうは高くつかないでしょう。
最近はスーパーの弁当も安くてうまいものが増えています。種類もたくさん。。。。。
イートインでチンすれば暖かいものも食える。
だいぶ前ですが、ドライブに行っておいしいコーヒーを飲みたくなる。そんな時、コンビニでおいしいコーヒーを変えればなとブログに書いた覚えがあるのですが、このコンビニコーヒーはもう当たり前になりました。イートインというものもそのうち当たり前になってくるでしょう。
今日は車で少し遠いスーパーに出かけました。
大きなスーパーで広いイートインコナーがあります。
買い物をしていたら小腹がすいたので菓子パンを一つ買ってイートインへ。100円コーヒーも買ってのんびりとそのパンをかじりました。
年金生活のじいちゃんだと思いますが、100円コーヒーでだいぶ粘っているような。。。。
やはり年金生活のばあちゃんだと思いますが、3人で楽しくしゃべりながら買ったせんべいをみんなで食っていました。ペットボトルを横に。
高校生でしょうか、ペットボトルのジュースを飲みながら楽しく大声で話をしていました。
サラリーマン風の男はノートパソコンを広げていました。
まだ50代ぐらいの男は分厚い本を広げて何かをメモしていました。
お母さんと幼い子供。。。。。。駄菓子コーナーで買ったお菓子でおやつ。
こういった風景は飲食店では見られない風景ですね。自分の好きなものを買って楽しむ風景は。
もっとも庶民的な楽しみかもしれませんが、こういった風景を嫌う人もいるのかなとふと思いました。あまりにも庶民的すぎるから。
でも、デパ地下などには美味しいケーキがある喫茶コーナーもありますね。これと同じようなものでしょう。

【2019年】ツイッターつぶやき
キャッシュレスポイントが消費増税10%に合わせて実施されています。
報道によると予想外にポイントを受け取っている方がいるようです。
しかし僕のようなものはその恩恵を感じるのはコンビニで数百円買い物をした時だけです。
スーパーや食事をしてプリペイドカードで支払ってもポイントなどレシートに見つからない。
プリペイドカードはややこしい登録が必要のようですね。
クレジットカードの明細を探してもキャッシュレスポイントらしきものは見つからない。
僕の生活圏には恩恵は回ってきていないのでしょうか?
都内在住の僕でもこの程度ですから地方の方はどうでしょうか?
若い人のように情報に詳しくないのかもしれませんね。
消費税は広く浅くといわれていますが、キャッシュレスポイント自体が、すべての人に恩恵が行き渡る制度ではないのです。
ましてや世代間や地域の格差そして経済格差の中で平等からはかけ離れているのではないでしょうか?
政府は経済の好転を生むことができずに日本経済はデフレ不況のままです。ですからキャッシュレスポイントなどというものを導入したのですが、このキャッシュレスポイント自体が上気したように不平等な制度になっており、恩恵を受けるのは一部の人々となっている。
消費増税自体が暴挙ですが、その手当も経済政策としては効果はなくて結局はキャッシュレス化を進めるためのものでしかありません。
それは突き詰めてみるならば、企業の生産性のためです。
企業は今後省力化を進めて労働力を少なくしていくでしょう。そのためにはキャッシュレスも必要不可分なものです。
消費増税の裏には法人減税があるという見方があります。
安倍内閣の企業利益優先は変化しませんなぁ。。。。。
これでは経済はさらに冷え込んでいきますね。

【2020年】ツイッターつぶやき
5月の連休中までGo Toを延長する案が?
新規感染者数も増加をし、重症者数も増加をしベッド数が足りなくなるという心配も出ている中でGo Toを延長するというのもすごいですね。すでに政府は感染者数が多い処では中止をしはじめていますし今後東京もどうなるかわからない状態です。感染者数の少ない処でも人口10万人当たりの感染者数から見るとけして安心できる状態ではないでしょう。
Go Toを行っていても自殺者数は増えてきている。経済対策にはなっていない面が出ている。

【2021年】ツイッターつぶやき
夜に入り小雨が降ってきました。
風呂上がりにベランダに出たら暖かい。
パジャマのうえにセーターを着ていたのですが、汗が出てきて脱いでしまいました。
冬は雨が降ると暖かくなる日がありますがここまで暖かだと気持ちが悪いぐらいです。
明日は最高気温が20度ぐらいになるそうです。
でも、昨日が寒すぎましたなぁ。。。。。
そういえば、昨日ドライブで起訴の方へ行ったのですが、中央道で諏訪あたりを走っていたら車の温度計がマイナス3度でした。中央道で一番標高の高いところは1000メートルを超えますから気温もだいぶ違うようです。

【2022年】ツイッターつぶやき
11月も終わりですなぁ。苦手な11月から冬至まで。
冬至まで3週間ですね。
冬至を過ぎれば日が伸びる。これだけで沈んだ気持ちが楽になり寒い毎日の気持ちも明るくなります。
年末までバタバタと忙しい日々が続きます。

【2023年】ツイッターつぶやき
スーパーににがりが付いた豆乳がありますが、手軽に熱い豆腐が食べられるので時々買います。先日もあったので買ってきました。
去年のこのブログに柚子豆腐を作った記事がありまた食べたくなったので作ってみました。
柚子を皮だけすりおろして豆乳を入れるだけですが、レンジでチンすると柚子の良い香りが。。。。。
少し醤油をかけて食べました。
残りの実をジュースにしようかと思ったのですが、東京も今夜は寒くなったので、もったいないけど柚子湯にしました。温かい豆腐に温かいお風呂。。。。。
最高ですなぁ
 
【2024年】ツイッターつぶやき
ロシアがウクライナに侵攻したとしてウクライナ支援が先進国において行われるようになりその支援というものがエスカレートしている。
ウクライナのロシア系住民の虐殺、そのウクライナのマイダン革命を陰で支援したアメリカ。
クリミアなどで独立運動が起きその独立からロシアに編入された。これを反民主主義だと非難するが、マイダン革命自体が選挙で選ばれた大統領政権を武力で倒すという反民主的なウクライナが生まれる。そのウクライナは極右の力により支配される。
このウクライナを支援するということは、極右的国家を支援するということですから、先進国内でも右翼的な運動が力を持ってくる。この中でウクライナ支援は武器の供与と軍人の支援となり、ロシアの資産凍結だけではなくその資産の利益をウクライナ支援に使いだした。
ロシア制裁とウクライナ支援が先進国とくにヨーロッパや日本の政治経済を狂わせている。
ウクライナの敗北が濃くなる中で、アメリカ、NATOの直接的な介入が露骨になる。
アメリカは同時にイスラエル支援を行い、台湾支援そしてジョージアでも動き出している。